日本鉄道会社/東北・高崎線敷設
9月はじめ日本列島にのろのろ台風がやってき、上陸した紀伊半島や通り道になってしまった地域に災難をもたらしている。今年ほど自然の恐ろしさを実感したことはない。
台風ともなれば交通機関ストップは当たりと思うが、状況がどうだったのか1899明治32年10月台風下、スピードを出しすぎた列車が鉄橋から川に真っ逆さまに転落した。
日本鉄道の列車20両編成のうち8両が栃木県箒川鉄橋から転落、使者14人、重軽傷38人という大事故である。嵐の中を乗客同士が助け合い、命がけで救助までもした様子が明治の新聞(時事)に詳しい。
日本鉄道は1881明治14年旧大名・公卿らの*金禄公債を資本として創立された最初の民間鉄道会社である。東京・青森間鉄道建設を目的にし、政府は鉄道用地の供与、建設資金利息・利益金の補給・保護を与え、5~8パーセントの配当を続けた。政府の補助による安定した経営は、以後の私鉄開設時代展開の基礎となった。
明治15年から現在の東北・高崎線の敷設にかかり、明治24年青森まで開通した。
明治31年鉄道争議がおこり経営の実権は三井に移るが、日露戦争後に国有化された。今はJR東日本となったが、東北地方を貫く重要幹線であるのは変わらない。
*金禄公債: 明治政府が旧来の禄制(家禄など)廃止のため交付した金券。翌年,、禄の奉還を命じ代わりに公債を交付した。当時、鉄道会社は明治20年代の投資熱を刺激、公債は生産、運輸など産業資金になった。しかし、多くの士族は生活が苦しく、公債の多くが高利貸しの手に落ちた。
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