『北京籠城日記・回顧録』 服部宇之吉(福島二本松)
前出の義和団事変、日本を含め8カ国も連合して戦ったのに“戦争”でなく何故“事変”なのだろう。事変を辞書でひくと
「事変=宣戦の布告のない戦争行為。日華――」とあり、今さら、そうなんだ。
義和団事変翌年の発行『東洋戦争実記・第二十編・北清戦史』(1901東京博文館)は、実体どおり“戦争”“戦史”となっている。
さて、義和団事変は帝国主義時代の西欧に素敵な日本人を知らしめた。柴五郎はもちろん義勇隊員となった服部宇之吉博士もその一人である。二人の『北京籠城』『北京籠城日記』は平凡社・東洋文庫53にあり、今も読み継がれている。
服部宇之吉(1867慶応3~1939昭和14年)
二本松藩士の三男、戊辰戦争で父は戦死し、母も病死した。赤ん坊の宇之吉は叔父に引き取られた。養父は藩主に従い米沢に逃れ、宇之吉は養母と城外の農家にひそみ官軍の逮捕を免れた。のち上京し学業に励み、東京帝国大学哲学科卒業、文部省に入り高等教育会議幹事を歴任した。
主な経歴をあげると明治32年から中国北京に留学、このとき義和団事変に遭った。
帰国後『北京籠城日記』を刊行、のち、還暦記念に「回顧録」を籠城日記の附録として出版、一義勇兵として体験などを記している。
はじめて暗夜の歩哨に立ち怖ろしかったこと。柴五郎中佐の伝令の軍務は、危険きわまりない勤務で、清国兵の弾丸とびかう砲火の下をくぐり外国公使館へ連絡した。また外国指揮官との間を往復し、狙撃されたこともあったなど回顧している。
その後、ドイツに留学。
1902明治35年、清国政府からの招聘で北京大学堂内の師範館の主任教授となり、中国教員を養成した。
帰国後、東大教授。
1914大正3年、中国研究の第一人者、服部宇之吉氏および著名な仏教学者、姉崎正治氏という二人の日本人教授が東京帝国大学から招かれ、ハーバードで講義を行いました。お二人とも中国研究と仏教に関する重要な日本語文献をハーバード大学図書館内燕京図書館に寄付して下さり、そこからハーバードにおける日本語コレクションが始まったのです(2010図書館フォーラム・関西大学図書館、関西大学, 2010-06-30 Library Forum第15 号)。
1915大正4年、ハーバード大教授となる。
退官後は東方文化学院長のほか、斯文会・日華学会を主宰、中国の礼の思想の体系化につとめた。著書は『清国通考』『北京誌』など。
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