壁新聞ふたつ(宮城県石巻、中国北京)
3月11日の東日本大震災から半年過ぎた9月、「石巻日日新聞」が“国際新聞編集者協会”(本部オーストリア)から特別表彰されたというニュースがあった。
「石巻日日新聞」は宮城県石巻市を中心に発行している地方新聞で、津波の被害にあって印刷が出来なくなった。しかし、「電氣がなくても紙とペンがある」と手書き新聞を作った。その壁新聞を目にした被災者は、どんなにか心強く思ったことだろう。記事の送り手は創刊99年の新聞の記者、情報を信じたことだろう。
唐突だが、大事態の混乱のさなかの壁新聞で会津人・柴五郎が遭遇した北清事変中の掲示板を思い起こした。
北清事変とは1900明治30年に発生した中国義和団の反乱事件に際しイギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イタリア・ドイツ・オーストリアそして日本の8カ国が連合して闘った鎮圧戦争である。
当時、西太后が君臨する清国は日清戦争に敗北して賠償金を支払うため、外国に鉄道敷設や利権を求められていた。賠償金は農民や労働者の肩に重くのしかかり、義和団の反乱がおこり鉄道やキリスト教会を襲った。反乱は広がりついに北京にまで押し寄せ、8カ国公使館がある区域を砲撃、反乱軍に政府軍もまじって大変な激戦になった。
その戦いで柴五郎は大活躍、英米ほか8カ国の籠城者を纏め、指導して援軍が来るまでの3ヶ月間を戦い抜いたのである。
明治半ば、日本人は西欧列強から友人扱いされないような所もあったが、籠城戦で柴五郎は外国人の人望を得、ひいては日本人が見直された。
柴五郎は軍人としても人間としても誰からも好かれ、情報を得ることにも長けていた。五郎が得た情報はイギリス公使館の掲示板に大きく貼り出され、籠城者に信用された。困難な時ほど、紙とペンは人の助けになるようだ。
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2019.3.11 毎日新聞
<東日本大震災8年>
石巻日日新聞 ――― 震災で輪転機が浸水した後、手書きの壁新聞を発行したことで知られる宮城県石巻市の夕刊地域紙「石巻日日(ひび)新聞」。同紙と東松島市、女川町で現在約720部を発行する同紙は今年1月、1面企画「次代への軌跡~まちづくりにつながる力~」をスタートさせた。
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