『漱石の師マードック先生』平川祐弘/ 『オーストラリア物語』遠藤雅子
前回「藤野先生」を書いていてふと「マードック先生」が浮かんだが、そのまま忘れた。それが何気なく手にした『オーストラリア物語』(遠藤雅子・平凡社新書)に、夏目漱石とマードック先生がでてきて、昔読んだ「マードック先生」を思い出した。
『オーストラリア物語』<歴史と日豪交流10話>、この副題なら義和団事変で活躍したロンドンタイムス記者G・E・モリソン(『日露戦争を演出した男』)も出てくるかなあ。パラパラめくったら、あった!モリソンと友情を深めた柴五郎までも出ている。
本書はオーストラリアが未知の大陸だった昔から現代までを分かりやすく纏めている。とくに第Ⅱ部では日豪、日本とオーストラリアの関係が興味深い。
9話には日豪交流の曙時代、明治初期の日本で新聞「日新真事誌」を発行したジョン・ブラックや夏目漱石らを教えた教育者ジェームス・マードックが登場している。
10話では義和団事変や日英同盟、シンガポール陥落、オーストラリアと戦争など。日本とオーストラリアの微妙な関係が描かれている。
オーストラリアは2回も観光したが「かつてイギリスの植民地、ゆかりの地名がある」としか思わず、遠くこの地で日本が戦争などと日豪関係など考えもせず、無知だった。
『漱石の師マードック先生』(講談社学術文庫)著者に比較文学の分野を教えられ、当時の自分には新鮮だった。
マードックはスコットランドの貧しい家に生まれ、奨学金でアバディーン大学を卒業。次いでオックスホード大学、さらにドイツ、パリへ留学、24歳で母校のギリシャ語助教授に迎えられた。
しかし、直に辞めてオーストラリア・クイーンズランド州グラマースクールへ赴任、間もなく校長となるが、又も辞めジャーナリストになる。
中国に渡ると、移民船の様子や白豪主義のオーストラリアへ出稼ぎする中国人労働者の悲惨な状況を、ブリスベーンの週刊新聞に送った。漱石は社会主義の考えをマードックから影響受けたと言っている。
マードックはやがて日本経由でオーストラリアに戻ることにし、途中、九州で大学時代の友人が教師をしていた日本に立ち寄る。このとき日本に魅せられ、御雇外人教師となることを決心する。
そして1889明治22年、第一高等学校(のち東大教養学部)の英語、歴史の教師となり、夏目金之助(漱石)や山縣五十雄らの教え子と出会うのである。
漱石「マードックさんは僕の先生だ。近ごろでも運動のために薪を割ってるかしらん」よく家に遊びに行った漱石は、痩身のマードックが健康のためといって薪を割る姿に親しみをもっていた。
マードックは著述をし、勤務先の学校を変わるもそれなりの給与は得ていたが、苦学生を援助したり、貧しい人たちを助けるなどして質素な暮らしぶりだった。
マードックと日本人のふれあいは学生だけではなく、尾崎行雄など一家で交際していた。1900明治33年ころマードックに会ったモリソンは「非常におもしろい、物をよく識っている男」と評している。 「日本における英国の隠者」マードック先生、漱石の死から5年後に死去する。
開国まもない近代化日本を見、体験したマードック著『日本歴史』はどんな歴史観で記述されているのだろう。二人のふれあいに興味を抱いたなら『漱石の師マードック先生』お勧めです。
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