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2011年10月15日 (土)

魯迅「藤野先生」(現東北大学・仙台医学専門学校)

   10月に入り卓球の試合が重なってスポーツの秋を満喫、読書の秋をすっかり忘れていた。そんな折しも、
 毎日新聞「発信箱―――黄色い本の青春」(伊藤智永) 、「雑記帳―――東北大・魯迅展示室」(平本英治)を読み、本棚から、マルタン・ジュガールチボー家の人々』と『魯迅全集』を出して手に取った。
 すると、 読みふけった昔が思い出され、古びて埃っぽい本に白髪頭の自分が重なり、何がなしため息一つ。べつに昔に戻りたいとも思わないけれど、降りが強くなった雨が窓打つ音も相まってか、少し寂しい。
 現代人は教養小説は好まないらしく、“ジャン・クリストフ”や“チボー家のジャック”をさっぱり見ない。長編でもあり時代のスピードに合わないのだろうか。読書好きの共通の話題だったのに。平成の青春は何が共通なんだろう。

 魯迅阿Q正伝』は若い時より近代史をかじった今の方が、魯迅のいう「国民性の改造」を理解できそうだ。魯迅のうまれた時代、中国(清)は列強に植民地化されつつあった。清朝政府に対応能力は無く、家も没落した魯迅人は自活しなければならず、官費の修学コースを選んだ。

 やがて日本に留学、志望を採鉱学から医学に変更して仙台医学専門学校東北大学医学部の前身)に留学。そこで藤野厳九郎教授に出会い、恩師へ敬愛の情をこめて「藤野先生」を書いた。
 このほど、東北大に魯迅の足跡を伝える展示室が開設されたという。歴史をみれば「展示室を国際交流の場に」がよく分かる。

 ちなみに魯迅が東京から仙台に行った1904明治37年に日露戦争がはじまった。このころ魯迅は授業中、細菌を幻灯で見ていたがときに時事の幻灯も映し出された。
 ・・・・・・日本がロシアと戦って勝っている場面ばかりであった・・・・・・その中に、中国人がロシア軍のスパイを働いたかどで、日本軍に捕らえられて銃殺される場面があった。取り囲んで見物している群衆の中国人が「万歳!」手をうって歓声をあげた・・・・・・中国に帰ってからも、犯人の銃殺をのんきに見物している人々をみた―――ああ、もはや言うべき言葉はない。だが、このとき、この場所において、私の考えは変わったのだ。(「藤野先生」竹内好訳)

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