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2012年1月 8日 (日)

江戸の地理学者・箕作省吾(岩手県水沢)

 岩手・宮城・福島の人物に目を向け立派な人物に出会う楽しみをもらっている。自分は東京生まれだが転校2度、結婚後も2度の引越で「人生至る所青山あり」だ。強いて故郷を引っ張り出せば隅田公園の盆踊り東京音頭か。そんなようで「故郷」に実感がないが、盆暮れの混雑にもかかわらず帰郷する人々を見ると「故郷=いいもの」に思えてくる。そしてそれは本当のよう。東日本大震災で辛い状況にある人たちの絆に教えられた。

 3・11後、日本は海外の目を集め助けも得ている。現在、外国は地図では遠くても遙かではない。しかし鎖国日本において外国は遠い異域だ。その時代に立派な世界地図を発表、外国事情を紹介したのが陸奥国水沢生まれ箕作省吾(1821文政4~46弘化3)である。

 父は仙台藩士佐々木氏であるが疑獄事件に連座し揚り屋で世を去った。次いで母も喪い遺された少年、佐々木省吾は蘭方医・坂野長安のもとに寄寓。坂野は学塾を開いており一時、髙野長英も教えを受けた。
 勉学に励んだ省吾はやがて江戸、京都に遊学、蘭学を志し箕作阮甫に入門する。その勉強ぶりは
「箕作省吾ほど、異常といっていいほどひたむな研究者に遇ったことはない」(『箕作省吾』編著半谷次郎)というほどで、阮甫に認められ養子となる。

 1844弘化元年、阮甫の娘と結婚、この年はフランス船やオランダの軍艦が来港などで外患こもごも至る有様であった。これを憂えた省吾は、優れた世界地図「新製輿地全図」を発表し世界の形勢を知らしめようとした。同年、髙野長英は脱獄し逃亡生活をはじめる。

 1845弘化2年、『坤輿図識』『坤輿図識補抄』を刊行。
  注: 坤輿/輿地: 大地、地球。  輿地図/輿図: 領土、国土
 これらの著作は福沢諭吉の『西洋事情』以前のこの種の名著といわれ、鍋島斉正井伊直弼らが本書を外交の指針とし、また吉田松陰桂太郎が大志を立てたことでも有名(『コンサイス日本人名辞典』三省堂)。

 箕作省吾は地図のほか国名目録「亜細亜(アジア)誌総括」や「阿弗利加(アフリカ)誌目録」ほかに「閣竜(コロンブス)小伝」「亜理斯多得列氏(アリストテレス)」「那波列翁(ナポレオン)」など著している。
 おことわり:武士が読んだコロンブスやナポレオンはどのような人物像か興味あるが、漢文なので筆者には読めず列記するのみ、至りません。
  
 箕作省吾は各地を遍歴し西洋地理書をあさり、地理学に興味を持ち研究を重ねたが、病に勝てず25歳(or26歳/津山洋学資料館)で死去。早すぎる死であるが、一子遺した。

 その子、箕作麟祥は祖父阮甫(蕃書調所教授)に洋学を学び、祖父を継いで幕臣になり外国奉行翻訳方につとめる。
 1867慶応3年、パリ万国博覧会派遣使節・徳川昭武一行に従いフランス留学、帰国後新政府に招かれ活躍する。訳書『万国政体論』『仏蘭西法律書』。
ちなみに水沢市(現・奥州市水沢区)は、髙野長英の他にも後藤新平斉藤実など人材を輩出している。

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