『柳宗悦と朝鮮』
柳宗悦に興味をもったのは『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』執筆中だった。
近代史にさわると教科書では習わない「歴史」にぶつかる。記述中の人物がそれらに直接関わっていれば無論だが、そうでなくても物事には明と暗がある。
たとえば、大日本帝国と中国・朝鮮との関係がそうだ。書きたくないが書かない訳にいかず、時どき筆が止まった。そんな折しも柳宗悦を知り、このような人物もいたのかと感動した。
それにしても今日、日本のみならずアジアに広がる韓流ブームを考えると隔世の感あり、歴史の波動を感じる。
朝鮮万歳事件(三・一運動)
朝鮮では併合以前から反日義兵闘争が続けられていたが、ロシア革命の成功などで在外朝鮮人の間で独立運動が広がり、パリ講和会議にも独立請願書を送った。ウィルソン大統領の民族自決宣言に鼓舞され、アメリカなど列強の援助によって独立が実現されると期待したのである。
独立運動のデモが計画され京城・平壌などで独立宣言書が発表された。示威運動は朝鮮全土に拡大し、熱狂的に「朝鮮独立万歳」が叫ばれた。1919大正8年3月1日、200万の朝鮮人が全道618ヶ所で官庁を襲撃した。独立万歳事件(己未(きび)事件)である。日本は朝鮮での強圧的な政治姿勢を改めざるをえず、朝鮮総督武官制を台湾と同じように文武どちらからも任命できるように改正した。(中略)
朝鮮の人々を圧迫する日本にあって、独立が彼らの理想となるのは必然の結果であろう」と朝鮮の人情を愛し同情をよせる人物がいた。柳宗悦である。
柳は李朝朝鮮の白磁の美に感動したことから、朝鮮をさげすむ時代風潮のなかで朝鮮民族に敬愛の念を抱くようになった。柳は民芸運動創始者・宗教哲学者として知られるが、
「朝鮮人を想ふ」(読売)など時局の問題にも筆をとり、三・一独立運動などに対する日本政府の政策を批判した。 (『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』より)
『柳宗悦と朝鮮』(韓永大・明石書店)は日本が圧迫している朝鮮の芸術を敬愛し民族の力になろうとした柳宗悦その人をたどり、副題の「自由と芸術への献身」を描いて全体像に迫る。
柳宗悦の父楢悦と勝海舟の縁は宗悦にも深く、また母の弟は講道館創設で知られる嘉納治五郎。宗悦はこの二人の先達から多く学び影響を受けた。
著者は岩手県宮古市出身、美術史学会員。柳の愛した芸術への造詣が深く、柳が見たり触れたりした朝鮮の白磁や石窟の仏像などよく伝えている。その記述があって柳の朝鮮の芸術を愛する心が分かり、宗悦の「朝鮮民族美術館」(所蔵品はのち韓国国立博物館に)設立に至る思い、そして身命を賭して朝鮮を弁護するも信念をくみとれる。
―――私は久しい間、朝鮮の芸術に対し心からの敬念と親密の情とを抱いているのである。私は貴方がたの祖先の芸術ほど、私に心を打ち明けてくれた芸術を、他に持たないのである・・・・・・思えば私が朝鮮とその民族とに、抑え得ない愛情を感じたのは、その芸術からの衝動に因るのであった。芸術の美はいつも国境をこえる。
―――不幸にも人々は貴方がたを朋友として信じることを忘れている。彼らはただ征服者の誇りで貴方がたを卑しんでいる・・・・・・朝鮮代々の民族が、その芸術において何を求めているかを知り得たなら、おそらく今日の態度は一変されるにちがいない。
(『民藝四十年』柳宗悦・岩波文庫「朝鮮の友に送る書」より)
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