釜石港の水深図・柳楢悦(やなぎならよし)
“日本初の水深図発見”
「海上保安庁の東京都内の施設から、日本初の海図の基になった明治初頭の岩手県釜石港の水深図など歴史的資料が多く見つかった」
日本で初めてと見られる釜石港の水深図は「日本海図の父」とされる旧海軍水路局長の柳楢悦(ならよし)らが1871(明治4)年に測量。この水深図を基に日本初の海図が刊行された(毎日新聞2012.1.23夕刊)。
今日は節分だが春は遠い。日本各地とも寒さ厳しく大雪に悩まされ、暮らしが困難になった地域さえある。日本初の水深図測量の港、釜石も大雪に見舞われただろうか。
140年前、その地を測量した柳楢悦海軍少将の名に柳宗悦と縁がありそうと思ったらやっぱり、民芸運動創始者・柳宗悦(むねよし)は彼の三男。
柳楢悦は1832天保3年~1891明治24年。水軍で有名な藤堂高虎を藩祖とする旧津藩士。長崎海軍伝習所で学び、のち日本海軍省水路局の初代局長となった。
勝海舟とは長崎海軍伝習所以来の師弟で、明治新政府でもその関係は続いた。楢悦の妻勝子の実家は「菊正宗」の蔵元、仲人は上司の海軍卿・勝海舟であった。沿岸測量図を多く残し、船舶の水路海図作成に先駆的役割を果たし、伊能忠敬にも並び称せられたという(『柳宗悦と朝鮮』)。
『長崎海軍伝習所の日々』(カッテンディーケ・東洋文庫)を見てみたが、勝海舟など役職者の名しかなく柳楢悦の名は見当たらなかった。ただ、機関などの技術者を熱心ですぐれていると褒めていて、楢悦もその一人だったろう。
柳楢悦は数学の大家でもあり『円理算要』(萩原禎助1878明治11年小倉文庫)に序をつけている。
円理:和算の一算法で関孝和らに円の面積、球の体積その他一般の曲線の占める面積の計算を可能にした(広辞苑)。
また和歌の道にも通じ、文学的才能があり子の宗悦に受け継がれている。早稲田大学図書館に『山陰落栗』(やまかげのおちぐり)という市島謙吉・書写本がある。その一頁に
「海軍少将柳楢悦伊勢の人 海産物に精通す 御木本真珠培養に少将負ふ・・・・・・先年 少将の海産に関する随筆を出版して頒布す 是れ其の原稿也・・・・・・」
ちなみに市島謙吉は晩年、随筆に親しみ10数巻あり。新潟県、号・春城。大隈重信の下に改進党に入り、衆院議員のち「読売新聞」主筆、東京専門学校(早大)創設に関わり発展につくした。また、国書刊行会をおこし膨大な未刊の珍籍を続刊した。『政治言論』ほか著作あり。
柳楢悦が軍人と知って子の柳宗悦が朝鮮が日本の植民地であった時代に「朝鮮人を想ふ」を発表、以来、朝鮮の自由と独立を主張したことの意義、反骨をあらためて考えさせられた。次は韓永大『柳宗悦と朝鮮―――自由と芸術への献身』を読んで柳宗悦に触れてみたい。
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