青森-大阪・ブルートレイン15時間
“ブルトレ「日本海」最後の勇姿に殺到(毎日2012.3.17)” ラストランの前日、新幹線で青森へ行った。サヨナラツアーで、寝台特急「日本海」乗車、写真は車掌さんにもらった乗車証明。
雪の青森から琵琶湖を過ぎて春めいた大阪まで寐たり起きたり、1000km乗り通した。
車内はもちろん駅や積雪の沿線にも大小カメラ、老若男女の鉄道ファン鉄男/鉄子さんだ。鉄道ファンではない私たちおばさん姉妹、その熱心さに感心するばかり。
寝台車に乗るのは大昔に中学時代からのペンフレンドを訪ねるため、成人式の着物はいらないと言って、お金を貰い、次いでに九州一周した。それ以来だ。
今はもう無い三段の寝台、その一番上に寝た。狭いし、天井に頭をぶつけたのが忘れられない。
今や毛布に浴衣の用意まである。春休みの旅らしい高校男子の浴衣姿、可愛らしかった。
寝台車の歴史『近代日本総合年表』(岩波書店)でみると、社会欄に3件。
1900明治33年4月、山陽鉄道。1等寝台車の使用開始。10月、東海道線でも使用。
この年2月、田中正造、足尾鉱毒につき衆議院で質問演説。8月(清国・義和団戦争)日本軍各国連合軍と共に北京城内に進入、公使館区域を救援。
1903年明治36年2月、山陽鉄道で初めて椅子式簡易3等寝台車(無料)を使用。官設鉄道3等定期券を発売(従来1・2等、学生3等のみ)。
この年4月、桂首相・小村外相・伊藤博文・山県有朋ら、京都に会合、対露策を協議(翌年、日露戦争)。
1944昭和19年4月、国鉄1等車・寝台車・食堂車を全敗、急行列車削減。
この年6月、マリアナ沖海戦(日本海軍空母・航空機の大半を失う)。7月、東条内閣総辞職。
たった三つの寝台車がらみの事項、三つとも政治欄には戦争が載る。
とくに1944年に至っては戦局悪化、神風特攻隊・B29の東京空襲。酷い状況なのに、戦争は翌年に原爆投下されるまで続いた。
鉄子ならぬ歴子/歴婆のせいか、ブルートレインから話がそれた。
しかし、戦争ともなれば、鉄道は兵士を運ぶから鉄路と戦争は無関係でもない。
それにしても、東日本大震災は戦争に劣らないほどの恐ろしい被害を東北や関東にまでもたらした。東北の方たちが楽しい旅に出る日が早いように願う。
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