『<通訳>たちの幕末維新』木村直樹
先だって、幕末に来航したアメリカのペリーやロシアのプチャーチンを書き出しにした折しも『<通訳>たちの幕末維新』(木村直樹著・吉川弘文館)を見つけた。斜め読みのつもりが引き込まれて一気に読んでしまった。
鎖国日本は次々と現れる諸外国と否応なく交渉しなければならない。しかし体制は整っておらず通訳も少ない。どうしたってドタバタ、通訳の育成も急を要するからたいへん。
通訳者自身もそれまでのオランダ語のみではすまない。英語・フランス語・ロシア語その他必要に迫られ学ばなければならない。条約の翻訳や軍事・技術・文化を知らないと訳せない言葉・事項も多い。この本は豊富な史料を駆使してその状況を浮かび上がらせてくれている。有名無名の通訳者たちの生活までも垣間見せてくれ、それも面白い。
表紙は外国人と日本人が談笑するカラーの絵、ピストル片手の西吉十郎と二本差しの森山多吉郎という通訳二人の白黒写真の組み合わせ。これだけでも通訳の存在が浮かびあがり、その仕事にいっそう興味がわく。
長崎海軍伝習所にもオランダ通詞が動員された。オランダ海軍将兵によって海軍伝習がなされたから、学生の授業理解を助けるのに通詞も授業を受けねばならなかった。
勝海舟や柳楢悦らが授業を受けたときの「伝習掛通弁」は岩瀬弥七郎・本木昌造・西吉十郎ら15名。しかし江戸や函館・下田へ派遣される者もあり実際はもっと少なかったらしい。
伝習所通詞には造船・運用と船具とか担当があり、楢林栄左衛門の担当は航海と算術だった。柳楢悦や小野友五郎は楢林の通訳を得て学んだかも知れない。
また、オランダ通詞や通訳者らその後の人生も時代と無縁ではない。藩や幕府から新政府へ、学問の世界や英語教師など教員に、もっと積極的に事業を始める者など様々であった。本木昌造を活版印刷で知っていたが、オランダ通詞だったと本書で知った。
通詞の写真中に後の「東京日日新聞」主筆・福地源一郎(桜痴)のもあり、右手を握り拳にきりっとした立ち姿をみると西南戦争に従軍、記事を送稿し続けた若く元気な記者がイメージできた。
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