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2012年3月 6日 (火)

宮古湾の海戦、『日本軍事史』『箱館戦争写真集』

 まもなく3月11日。あの大震災に原発事故まで加わった怖ろしい大災害から1年がたつ。ドキュメント画像の惨状を見るたび茫然、でも目が離せない。何もできなくて・・・・・・家が全壊!泣く泣く故郷を離れた、仮設住宅に一人住む、被災の困難を思いやるばかり。
 岩手県[宮古港戦跡碑](当ブログ2011.12.03)がある辺りは回復したでしょうか。戊辰戦争の最終段階で蝦夷全域を占領した旧幕府の榎本軍は、新政府の最新鋭海軍が北上してくると聞き、艦船奪取を決行しようと函館を出港、宮古湾に赴いた。
 湾内に停泊する新政府の軍艦に戦いを仕掛けた海戦を伝えている本がある。一冊は宮古海戦を詳しく、もう一冊は全体の流れの中で触れる。

 『日本軍事史』(高橋典幸山田邦明保谷徹一ノ瀬俊也 吉川弘文館)は、
「古代・中世」弥生時代から古墳時代の戦争にはじまって「戦国時代」「近世」「近代」そして「戦後」の冷戦下の再軍備/対米追従か/国際貢献か/にまで、資料に基づいてコンパクトだが確かに纏めている。
 宮古湾海戦ころの【海軍艦船表】をみると、榎本軍と新政府軍の軍艦が分かる。ダントツなのが幕府がオランダから購入した開陽丸2590トン・大砲26門だが、この時すでに沈没して影も形もない。残る3艦で軍艦奪取は無理なのではと思うが・・・・・・後世の後知恵、勝手な事が言える。
 ちなみに、老朽化した咸臨丸は帆走輸送船に改造された。

 巻末に【図版一覧】があり、吉野ヶ里遺跡の「首のない人骨」から「イラク派遣の自衛隊員」まで148枚もある。また【年表】を眺めると明治以降、外国と戦争するようになったのが一目瞭然、そして現代、湾岸戦争など海外の戦争と無縁ではいられない現実も。
 自分は柴五郎砲兵中佐を好きになり明治の陸軍に興味があり、読んでみようと思ったが「軍事史」を読もうとする人は少ないかも。でも歴史好きには興味深い本と思う。

『箱館戦争写真集』(菊池明横田淳 新人物往来社)は宮古湾の海戦について、艦船の写真はもちろん、箱館を出港した榎本軍の回天蟠龍高雄の3艦が寄港した鮫港(青森県八戸市)・山田湾大沢港岩手県山田町)・閉伊崎(岩手県閉伊郡)・鍬ヶ崎港宮古市)・藤原海岸(同)の写真もある。

 港ごとの説明、航路図、戦死した甲賀源吾の絵姿(新撰組隊士・中島登描く)、墓碑や記念碑までと、宮古海戦が至れり尽くせりに紹介されている。
 勝算を期せず志に殉じた当時の人々が見た風景や建物を写しとり、読者に紹介してくれている。それにしても、港や海岸の写真風景は何処もおだやかで美しい。大津波に襲われた湾や海岸線、現状はどうなっているだろう。 
 本書は、書名の箱館戦争はもちろん、五稜郭土方歳三などの豊富な写真、古写真もあり、丁寧な解説がついている。そして戦死者ゆかりの寺や墓碑の写真は執筆者の心持ちを伝えている。

      *****

「宮古市」湾河口に水門計画(2012.3.7 毎日新聞・岩手県の現状)
  東日本大震災1年

 ・・・・・・はがれたアスファルトは舗装し直され、真新しい信号機が点滅を繰り返している。半面、一帯が浸水した商店街は一部がシャッターを下ろし、半壊のままのガソリンスタンドもある。市役所前を流れる閉伊川が注ぎ込む宮古湾は、何事もなかったように穏やかだ。
 県はその河口に、防潮堤をかさ上げするのでなく水門を設けようとしている。

 水門計画については住民の議論が活発の様子。主要産業の漁業は少しずつ震災前の姿を取り戻しつつあるが、復興には遠い。 「計画に沿いしっかりとした街づくりをしていく」(市長)。

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