鉄道院参事・佐々木安五郎(盛岡・仙台)
漢字は意味が伝わりやすく便利だが同音異義語がある。点訳をしていた頃、古い辞書が役に立つと点訳の先輩に教えられた。
点字に点漢字もあるが殆どひらがなで表現されるから「分かち」と「読み」が大切だ。古い事典は助かるし歴史好きには時代が感じられていい。
たとえば1913大正2年発行『東京社会字彙』復刻版・湘南堂書店・昭和62年(字彙ジイ。中国・明代。はじめて214部首をたて、各部のすべての字を筆画数順に)。
東京在住の人物の生年、出身藩、経歴、軍人なら中将とか位、爵位や勲功、現住所に電話番号も。
故人に限らないので没年をみようと手元の人名事典をひくも掲載無しが多い。取捨選択の変化もあろうし、時がたつと埋もれてしまうことがあるようだ。表題の佐々木安五郎はどうだろう。
佐々木を選んだのは、“待ちに待った再開”毎日新聞―――大震災で線路が流された岩手県沿岸の三陸鉄道、まだ全部は復旧してないが
陸中野田--田野畑間(北リアス線)が開通。 これを読んで、鉄道・岩手県つながりで「字彙」にあたってみると、佐々木安五郎という人がいたので下記に。エピソードがなく一見無味乾燥だが鉄道の歴史が見て取れる。
佐々木安五郎君 君は鉄道院参事なり。
岩手県の人1879明治十一年十月二日を以て盛岡市生姜町に生る。盛岡尋常中学校、仙台第二高等学校、東京帝国大学、1904明治37年政治学科を卒業し鉄道書記となる。
文官高等試験に及第し爾来、鉄道事務官北海道鉄道作業局出張所庶務課長、帝国鉄道庁主事、鉄道院参事にのぼり総裁官房文書課に勤務し鉄道博物館掛を兼務。
1913大正2年、鉄道運輸規程改正調査委員。
正六位勲六等高等官四等たり(本郷駒込区西方町10に8号)
鉄道は官営で新橋~横浜が開通したのがはじまりだが、私鉄援助も行い私鉄ブームが起こった。
1892明治25年、鉄道会議(鉄道線路の工事・公債などの諮問機関)。第1回議長は川上操六陸軍参謀次長、軍部の発言が強かった。1906明治39年、軍事上の必要と私鉄の経営難もあり鉄道公有法を公布し、鉄道を国有化した。
1908明治41年鉄道院が設置され、鉄道を管轄した。初代総裁は後藤新平、佐々木は同じ岩手出身の後藤の下で仕事をしたのだ。このとき佐々木29歳、後藤は51歳である。二人の交際や佐々木の人物像など今、手がかりはないが名前を覚えたから、気づいたら拾う。
ちなみに、『コンサイス日本人名辞典』(1993年・三省堂)佐々木安五郎(1872明治5~1934昭和9)は山口県の人、明治・大正期の政治家。
二人の佐々木安五郎、活躍の場も違うから同姓同名で困りはしなかっただろう。
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