続・瓜生岩子(福島県)
5月の連休も終わりそれぞれ日常に戻ったが、スポーツ界は華やいでいる。ロンドンオリンピックが近付き、日々代表選手が名乗りをあげている。体操の田中3兄妹に拍手!卓球愛好家としては福原愛ちゃんはもとより、アジア選手権で世界ランク1位の中国・馬龍選手を破った高校生の丹羽孝希選手にワクワク!
その丹羽選手と同じ毎日紙面に北京五輪代表・佐藤敦之選手「故郷福島を拠点に」の見出し。東日本大震災と原発事故で今なお苦しむ
「ふるさとを放っておけない。福島に戻って活動する」という記事で、福島での練習拠点は会津坂下(ばんげ)町だという。
佐藤選手は地元の中高生らの合宿に参加するなど地域の競技力向上に努めるそう。合宿には会津に避難している大熊町中の生徒も参加するでしょうか。
ちなみに、会津若松市第2庁舎には大熊町役場があるのです。先ごろ、
“熊町小(大熊町)が読書活動で文部科学大臣賞を受けました”というお便りを頂きました。
町ごと避難という何とも辛い境遇にありながら、前向きな町の子どもらと見守る大人たち、胸にせまるものがあります。楽しみでもあり生きる糧にもなる本、読書好きがこれからも増えますように。
またまた前置きが長くなりました。少し前にとりあげた「瓜生岩子」の続きです。自分が見た浅草の岩子像にふれましたが、像は同じものが他にもあるそうです。
『紙碑・東京の中の会津』(牧野登・日本経済評論社)によれば、喜多方市北町の公園、熱塩の示現寺、福島市の長楽寺と浅草の4カ所。以下は同書より、
1891明治24年3月、東京市養育院長・渋沢栄一の懇望で上京し、約1年間、幼児世話係をつとめた。本郷帝大前で薬局を営んでいた孫の裕次郎のところに住んでいたこともあったらしい。
銅像は宮内大臣夫人・土方亀子が自邸内に建設事務所を設け、全国的に基金を募って完成させた。1901明治34年9月の除幕式には、建設委員長の渋沢栄一ほか後藤新平、河野広中ら政府高官に遺族も参列し、盛大に行われたという。
岩子の像が建てられている敷地は、当時東京市市有の浅草公園の中央部二間(約3.6m)四方を銅像建立のため永代無料で貸与を願出、東京市議会で許可になったという。
| 固定リンク
コメント