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2012年6月27日 (水)

異郷の蛍雪、山川(大山)捨松(福島県)

1871明治4年秋、岩倉具視全権大使・木戸孝允大久保利通伊藤博文ら使節団百余名がアメリカの郵便船で横浜を出港した。条約改正予備交渉、諸外国の制度・文物の調査などを目的とし1年9ヶ月の世界一周旅行で12ヵ国を回覧したのである。
 一行中に女子留学生、永井繁子(益田孝・妹のち瓜生海軍外吉大将夫人)、津田梅子(津田塾大学創設者)、上田貞子、由松亮子、山川捨松(のち大山巌大将夫人)がいた。10歳前後の5人の少女たち、長い船旅のエピソードは
―――小言を聞くは岩倉公、病気などの時親切なりしは大久保利通さん、遊びにいって面白かりしは伊藤博文さん(『続当世活人画』)

 その年、柴五郎は上京したものの困窮、元会津藩家老格・山川家の世話になる。真冬に浴衣姿の五郎、山川夫人は渡米中の捨松の振袖の袂を短くし着せてくれた。五郎少年はそれで寒さをしのぐことができた。

 アメリカで岩倉遣外使節団がヨーロッパ出発した後、少女らは森有礼駐米公使の世話でいったん公使館に引き取られた。その後、捨松はエール大学に留学していた兄・山川健次郎(のち東大総長)の近く、ベーコン牧師の家に寄宿し勉強した。

 はじめ官立中学校、のちニューヨーク・ヴァサー大学で4年間学んだ。卒業論文「日本に対する英国の政策」は優等生の論文として賞賛され日本の外務省も翻訳したほどである。
 滞米中、捨松は日本語を忘れないように、当時留学中の田尻稲次郎三浦和夫(鳩山)、原六郎箕作佳吉などと会っては努めて日本語をつかった。

 1883明治16年、捨松帰国。山川門下の若手や柴四朗氏らが条約改正のため捨松を欧米に派遣して至る所で演説せしめたら妙ならんと主張するほど嘱望(『続当世活人画』)。

 帰国後の捨松は社会、女子教育に志をもち、結婚を急がなかった。しかし帰国の翌年、薩摩の大山家に輿入れした。
 世の中が変わったとはいえ、会津藩家老の娘が仇敵ともいえる薩摩の軍人に嫁し、また小説『不如帰』の意地悪な継母のモデルとされて、捨松は世間の冷たい目にさらされた。洋行帰り、それも女子はもっと珍しい時代であったから興味本位や悪意で見られることもあっただろう。が、それにしてもなぜ年齢差もあり、敵同士でもある家に嫁いだのか。

 益田社長の御殿山邸は、永井繁子さんが社長の姪ゆえ、かの洋行帰りの娘連は、広い邸内を遊び場に、津田梅子、山川捨松さん方が運動も活発に、新しい女性を発揮していた。 捨松さんも颯爽と、ラケツトを演っておられた。そこへ見えたのが、先夫人を亡くなされた大山さんで、フト捨松さんを見染められた。
「彼の女こそ、をいが妻に貰ひ受けん」と、益田社長に、結婚媒介を申込んだ。これには社長も当惑。捨松さんは憂鬱であつたが、兄の山川浩さんが、上長官の懇望に、之を拒み得ないで承諾したから、妹の捨松さん、巌にからまる蔦かつら、これが一行中一番出世の大山元帥の配偶捨松夫人であつた(三井物産の寺島昇)。

 当時日本は行きすぎた欧風化が目に余る情況であった。東京麹町内幸町に建てられたイギリス人コンドル設計の鹿鳴館は欧化熱の象徴ともいえ、そこで舞踏会や婦人慈善会などが開かれていた。華やかな舞踏会はエピソードに事欠かない。その一つに「恋の伊藤博文」があり、鹿鳴館の花形戸田極子との噂で世間を賑わした。
 大山巌夫人捨松も花形の一人であった。洋行帰りの女性が能力を発揮する職場がないような時代にあって、鹿鳴館は多少なりとも活躍できる場所だっただろう(『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』)。  

 大山夫人となった捨松は先妻の3人の子と自分の生んだ3人、6人の子を隔てなく育てた。捨松が学んだ大学では体育が重視され、水泳もでき欧米流の家庭教育にいかしたが、会津武士の家風も忘れることはなかった。
 看護についても学んだから義妹が手術すると日夜看病に励み「名医ありとも、この介抱なくてはわたしの命は難しかりし」と感謝されるほどだった。
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  参考:近代デジタルライブラリー『続当世活人画・名士と閨秀』(佐瀨得三 春陽堂・明治32.11.22) /  『名媛と筆蹟』中村秋人著 博文館 明治42.12.18(奥付の写真、大橋新太郎発行、当ブログ2012.6.7大橋図書館)

 余談: 来年のNHK大河ドラマは新島八重とか。友人に「明治の兄弟」に八重がでてくるか聞かれた。残念ながら出てこない。なぜか、自分がみた資料では、八重は新島襄の弟子たちに悪く言われてる。当時は女子が出過ぎると正しいとしても、良くは言われなさそう。かといって調べる余裕もなし、悪口をそのまま書く気にもなれず、新島八重は割愛した。

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