勝手口からみる日清・日露戦争
ときどき国立公文書館の特別展にいく。活字でしか知らない条約の原本など公文書や絵図を見、「これがそうなんだ」とただ感心して帰ってくるだけだが、興味深い。その公文書館は耐震工事中とかで別の場所で2012.4.25講演会があった。
大濱徹也講演 「公文書館の世界」
―――議事録には、苦すぎる真理がたくさんありすぎる―――
聴いてかなり刺激を受けた。せっかくの講演、レポートしたいが内容がありすぎて纏められず以下、項目のみ。
Ⅰ)Archivesはどのようなものとしてそんざいしてきたか
Ⅱ)現在、どのようにいちづけられているか
Ⅲ)記録資料の保存管理はどのようであったか
Ⅳ)集積された知的情報資源は誰のものか
Ⅴ)対論熟議はいかにすれば可能か
Ⅵ)検証する文化が政治の覚醒を可能にする
*参考文献: 大濱徹也『アーカイブスへの眼』(刀水書房)ほか
さっそく講演者の著作を読んでみると、資料に基づいた庶民の戦争、実際に戦った兵隊や残された家族の有様が写し出されている。ここで『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』だすのは気が引けるが、日清・日露戦争を描くとき、できるだけ兵士や残される女性たちの思いを伝えようと心がけた。「坂の上」でなく「坂の下」を。
しかしながら下記の二著作に、「坂の下」どころではない激戦の渦中にあった兵士の実情、遠征の重荷、家族や寡婦がさらされた無惨を教えられた。たとえばほんの一例を『明治の墓標』より
<戦時下の村―――予備兵招集の悲惨>
▲病気にても起こりしや:小生の近所の米屋に宿舎する兵士が三度の食事をいつも余す問えば、兵士は涙を流して我は三度の食事を無事に得るも、故郷の妻子はさぞや三度の食事にも困り居るならんと、それを思えば半分の食事も咽を通らずと申せしよし戦勝に酔うて万歳を唱ふる国民は此声を如何に聞き候や(起雲)[平民新聞]
大濱徹也『明治の墓標』1990年河出書房新社改題『庶民の見た日清・日露戦争』帝国への歩み((2004年刀水書房)
大濱徹也『日本人と戦争』歴史としての戦争体験(2004年刀水書房)
大濱徹也:勝手口からみる日清・日露戦争: “けやきの便り”『江戸東京年表』
http://blogs.yahoo.co.jp/keyaki_natu10/14147108.html
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