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2012年7月28日 (土)

蛙の詩人・草野心平(福島県いわき市)

 小学4年の授業参観、子どもたちがいろんな「あ」を発声していた。楽しい「あ」と担任がいうと、声を揃え元気よく「あ!」。悲しい「あ」、うれしい「あ」。あ一つでこんなに表情豊かに感心。
「では次に教科書を開いて」と先生。子どもらは、春になって蛙がうれしがる詩を、感情をこめて繰り返し読む。次に「お母さんたちの方を向いて暗唱しよう」と先生。子どもたちはにこにこ顔で、草野心平の蛙を暗唱。「ああ春だ♪ うれしいな♪」にウルウル。おばあちゃんはこういうの弱いよと涙をこらえていると、若いママたちも涙目。せいいっぱい拍手、大人にも楽しい授業でした。

    新氷河時代 
 
第五の氷河時代がいつかまた。
おとなしい地球にくるだろう。
南や北の極からじりじりと。
空気もひび割れ。
青ガラスの陣陣で迫ってくるだろう。
そうして蛙たちは死ぬだろう。
人間たちも死ぬだろう。
けれども蛙たちは死に絶えず。
人間たちも生き残るだろう。
二つも三つも氷河の時代を経験した蛙たちは。
矢張りなんとか生きのこって。
たとえばそうだ。嘗て蛙は。
タクラマカン砂漠のなかの草の河で。
へディンを死なせず生きる契機を与えて死んだのだが。
生きのこっていたから水たまりの水と一緒に協力してへディンを死から救ったことはたしかである。
おだやかな地球に動植物は繁栄し。
蛙たちも鳴きつづけた。
(おだやかでないのは核や爆弾。)
(颱風圏。)
とは別にジリジリとやがて。
第五の氷河時代はくるだろう。
          (『草野心平詩集』蛙のうた 岩崎書店2003)

 草野心平=蛙の詩人、のどかな詩人を想像していたが、とんでもなかった。半端ではない生涯とその時代。関わった人物も多様で広範囲、想像してたより深く大きい。どこをアップしたらよいかわからないが取り上げてみた。以下『コンサイス学習人名事典』(三省堂)・「毎日新聞」2012.7.21記事から。

 草野心平(1903明治36~1988昭和63)福島県いわき市上小川町に生る。同県川内村に心平ゆかりの「かやぶきの天山文庫」小さい図書館がある。心平がこの村にモリアオガエルを見にきたのが交流のはじまりで石川達三棟方志功らも来るようなった。
 2011年の原発事故でほとんどの村民が避難していたが、今年7月も「天山祭り」を開催、草野心平を今でも慕う村民が多いのだ。

 慶応大学を中退後、1919大正8年中国に渡り、広東の嶺南大学に学ぶ。
 この頃から詩作をはじめ詩誌「銅鑼」を創刊、帰国後の第1詩集「第百階級」(昭和3年)が認められる。

詩には新聞社校正係、焼鳥屋、貸本屋など職業を転々とした体験が生かされ、庶民の生活感情やバイタリティがよくでている。<>の詩が多く、擬声音をよく使うのが特色。
代表詩集に『定本・蛙』『富士山』『天』など。戦時中は5年間、中国で南京政府宣伝部の仕事をした。戦後も旺盛な詩作を続け、小説や随筆など多くの著作がある。

 その他。『草野心平詩集』(岩波文庫1991 入沢康夫編)解説中に、「第百階級」に高村光太郎がつけた序文あり。
 全7巻の膨大な『草野心平日記』(思潮社2006)第7巻解説によると、校歌の作詞は95校にもなり地域は地元の福島県が49校、東京都26校、長野県13校で東北地方全体では土井晩翠に次ぐ。
 前出、岩崎書店の心平詩集の略年譜は心平の生涯を見渡せ宮澤賢治萩原朔太郎らとの交流が興味深い。むろんいいことばかり無い。 大正8年16歳
―――県立中学校を4年2学期で中途退学。校内における先生のいびりと成績のガタ落ちですでに放校寸前。退学し上京することに決めたの例もある。 

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