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2012年8月30日 (木)

大震災、天罰説・コライ堂・図書館・復興公園

 朝顔のひとつはさける竹のうら ともしきものは命なるかな (龍之介)

 9月1日、関東大震災記念日で防災の日だ。働くママに替わって小学校へ孫を引き取りに行く。東日本大震災に遭う前、避難訓練は学校行事にしか思わなかったが、今は違う。また、ママは教師だから先だっての震災当日は目前の中学生避難を優先、それからわが子の無事を確認となった。震源地から遠く離れてさえこれだ。被災地は。
 ところで、90年前の関東大震災ではどうだったか。悲惨な事件があったのを忘れてならない。また他の記録をみてみたい。

 芥川龍之介といえば、本をよむ青白きインテリ、政治や社会の動きに無関心と思われがちだが、関東大震災にさいしては、自警団を体験し、十を超す見解を各紙に載せたという(毎日新聞・生誕120年芥川龍之介――関口安義・都留文科大名誉教授)。
 彼は震災天罰説を批判し、絶望してはいけない、「否定的精神の奴隷となること勿れ(改造)」と人々に呼びかけ、また、過去の文化遺産の保存を訴え、大学図書館の図書管理の手抜かりを厳しく批判した・・・・(中略)・・・・芥川の批判精神の旺盛さは、改めて見直されねばならぬ(後略)。

   大震災は国民の緊張を求める天の戒めだという天譴論がしきりに唱えられたという。

 芥川が指摘した図書管理、震災と関連するか不明だが、東日本大震災では図書館もまた大きな被害を受け一時閉鎖を余儀なくされた。その後、茨城県鹿嶋市中央図書館は開館するなり情報を求めるひとであふれたという。災害時ばかりでなく図書館はいつでも必要、次は毎日新聞<図書館の力を信じて>より。「図書館は、単に本を蔵書するだけでなく、その土地の文化や、住む人々の生活の具体的な支援に役立つ拠点とも」(宮城県女川町に町民図書館をと訴える、今野順夫・福島大名誉教授)。

 2012年、芥川生誕120年なら、幕末に来日したロシア人宣教師、ニコライ堂でお馴染みハリストス正教会のニコライ主教は没後100年になる。
 高台にありランドマークであったニコライ堂は関東大震災で焼け落ちた。ジョサイア・コンドルがロシアの建築家の原案をもとに設計した初代聖堂、塔とドームが失われ震災直後は無惨な姿をさらした。この建物は夏目漱石ら文学者に好意的に言及されていたが、日露戦争では旅順攻撃などで多くの戦死者をだしていたから、まだロシアへの敵意が残っていた。「このさい取り払ってしまえ」という意見もあったが、1929(昭和4)年再建された。

 ニコライ堂のあるお茶の水駅からそう遠くない両国駅、江戸東京博物館の少し先に「横網町公園」がある。ここは関東大震災で最大の犠牲者をだした「被服廠跡」で、「旧震災記念堂」(東京都慰霊堂)、「復興記念館」がたっている(『帝都復興史を読む』 松葉一清)。
 まだまだ記憶が生々しい東日本大震災の被災地、とくに岩手、宮城、原発事故まで背負わされた福島の本格的な復興はいつになるだろう。どうか長年月がかかりませんように

 *震災について、<けやきの便り>http://blogs.yahoo.co.jp/keyaki_natu10にも『関東大震災と安政江戸地震』を載せています。

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