福島原発事故・全町避難『大熊町 学校再生への挑戦』
東日本大震災・福島原発事故から一年半がたった。それらの特集ニュースや記事をみるとまだ大変、復興どころではない現実を教えられた。生まれ育った故郷へ帰れない人も多く、何と言ってよいか分からない。折もおり、一冊の本にであった。
『大熊町学校再生への挑戦』(編著・大熊町教育委員会と委員長・武内敏英/かもがわ出版)―――子どもは未来と希望、教育で人と地域をつなぎ育てようとしている実践の物語だ。
“踏むべき土のあるところ”(県立双葉高校・校歌)を追われ、移転先の困難な中で学校を立ち上げただけでなく、よりよい教育を目指したところがすごい。
全町避難先の会津若松市は海辺の温暖な気候の大熊町と違い気候が厳しい。とくに、会津の冬は厳しい!
でも、「オレは会津の人たちの温かさで、冬も寒くなかったど。心の雪もとけたみたいだ」(高齢の大熊町民)。
厳しい現実のさなかにいても感謝の心を忘れない。この本にたびたび出てくる。こういう人たちが困難に遭ったのだ。
ひとまず落ち着くまでの第一章ドキュメント「3.12全町避難から学校立ち上げまで」は胸に迫る。著者はいう。
――― 私たち大熊町民のように放射能に追われ、踏むべき土も失ってしまうような境遇の人間を、日本からはもちろん二度と生み出してほしくはありません。しかし、このような事態を招いたのもほかならぬ人間(日本人)なのです。人間を育てる教育の責任は大きいと考えております。教育は、子どもたちと人々の心に希望の灯をともし、理想を追求し続けるいとなみです(武内敏英)。
挿入された、子どもの笑顔写真、子どもたちの言葉に思わず涙がにじむ。
――― 心配なことは、ずっと友だちといっしょにいられるか。今やりたいことは、はなれた友だちと会うということ。
――― もう震災から1年たとうとしています。私は絶対に3月11日のことは忘れはしません。つらい思いもしたし、悲しいこともあったし・・・・・・。けれど、私はそのつらい気持ちや悲しい気持ちを乗り越えて、今を生きています。
それに私は震災後、新しい夢を持ちました。それは、看護師です。震災の時にケガをした人を一生懸命助ける看護師を見て、私はとても感動しました。今私が避難している会津若松市には看護学校があるので、4月から私はそこで新しい学校生活をはじめます。
あの震災の時の看護師さんみたいになるために!!
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