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2012年9月 9日 (日)

銭形平次、野村胡堂(岩手県盛岡市)

 先だって『胡堂百話』(中公文庫)を開き、今となっては歴史上または書中の人物が胡堂といきいきと会話していて興味をそそられた。胡堂の後輩、石川啄木など何度となく話題にのぼるが、作家のアマチュア芝居が流行ったころ啄木も演技したようで


―――「与謝野鉄幹はじめ新誌社の同人総出演で新しい芝居をやってみせる」と知らせてくれたのは、石川啄木ではなかったかと思う・・・・・(素人芝居が失敗、出演者も照れ笑い)。
―――見物客もキャッキャッと大騒ぎ。女性の観客席で与謝野晶子を筆頭に長谷川時雨など美しいミスたちが、金魚のように押し並んでいた。
 やわ肌に燃ゆる血汐の晶子女史を、私は、その日、はじめて見た。決して美人とは言えないにしても知的で、健康で、新鮮で、誰の目にも好感が持てた【知的な与謝野晶子】。

 胡堂は新聞記者を長年していて多数の著名人と面談している。原敬・鈴木茂三郎・木村義雄・新渡戸稲造・泉鏡花・夏目漱石・坪内逍遙・幸田露伴・金田一京助・中里介山などなど淡々と、でも心根まで写しだしている。県立盛岡中学にはじまり一高東大と友人も多く、中学でのスト、貧乏、喧嘩、俳句の知人友人から愛妻、隣人までエピソードに事欠かない。
 軍人にはあまり縁がないがそれでものちに軍神となった広瀬武夫の上司、上村彦之丞海軍大将にあったことがある。鎌倉の私邸であった将軍の印象を

―――戦争の運は悪くても、海軍部内で有名な豪傑だ。六尺豊かの偉躯に、白地のゆかたを裾短かに着て、未練気のない一分刈りの頭【広瀬中佐】。

 「未練気のない一分刈りの頭」に思わず感嘆。すっきりした文章なの軍人の心情を伝えている。胡堂の文章にも嵌まってしまった。

 胡堂と言えばおなじみ銭形の親分、『銭形平次捕物控』の原作は383編もある。投げ銭のヒントは『水滸伝』中の小石投げの名人、没羽箭張清【銭形平次誕生】。

 銭形平次は犯人をつかまえない。約半数は知って見逃してしまうのだ。「いいか、おれの、眼のとどかぬところへ、行ってしまうんだぞ」と、わざと縄をかけない。上司の与力は心でほめて、口では叱って「平次。また、しくじったな」とすがすがしい顔をする。
―――平次が追求するのは人間としての善意の有無である。善意の下手人は逃してやる。「法のユートピア」といってもよい。こんな理想郷は、マゲモノの世界の中に、打ち立てるよりほかない【平次の心】。

 この捕物シリーズを26年間も書き続けた野村胡堂(1882明治15~1963昭和38年)、本名は野村長一(おさかず)。岩手県北上川畔の水田地帯、紫波郡彦部村に生れ、父は村長を務めた。小説家、音楽評論家(筆名・あらえびす)。

 盛岡中学の同級に板垣征四郎金田一京助、後輩に石川啄木がいた。東大(フランス法学)を父の死により中退し報知新聞社に入社、政治部に勤務。新聞統合で報知新聞が読売に統合されるまで40年間ジャーナリズムに貢献した。
 1914大正3年、胡堂のペンネームで『人類館』を報知新聞に連載、以後多くの作品を送りだす。一方、時事川柳の選者もつとめ好評を博した。
 音楽評論家としても知られ『ロマン派の音楽』『レコード通』ほか著書あり。また東宮仮御所にブラームスのレコードをもって参上したことがある【皇太子さまと一時間半】。

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