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2013年1月 5日 (土)

『明治事物起源』石井研堂(福島県郡山)

Photo_3  「恭賀新年の源」
 1870明治3年12月の太政官令にて、新年賀詞の書式を示す。1879明治12年以後、追々盛行したる「恭賀新年」「謹奉賀新年」のはがきはここに起源す。

 岸田吟香私製の年賀絵葉書あり(写真)、1881明治14年正月のものにて、ペン畫石版摺にて、薬店広告兼用なり、これらを私製はがきの始めといふべし。
  [増補改訂『明治事物起源』明治文化全集別巻・編集代表木村毅・日本評論社](写真)

 『明治事物起源』は実に多くの項目があり興味深い。興味本位に流れず調査研究して執筆、出典も明記してある。もっと知りたければ出典が手がかりになる。復刻・改訂と版を重ねていてどの図書館にもありそう。目次を開いて物の始まり見てみませんか?
 また、索引で必要事項にすぐいきつきますが、それだけではもったいない。解題にもあるように本書は、明治・大正・昭和の世相史、社会史でもあるから各前後の項も捨てがたい。「恭賀新年」前後の項は「京間の廃止」「金婚式、銀婚式の始」「菊花御紋章の定め」など。

―――1869明治2年、*沽券状改正につき京間(6尺5寸間)、田舎間(6尺間)があるのは不便だから6尺間に定めた(明治2年東京府庁)
     *沽券状:こけんにかかわるの沽券で土地家屋などの売却証文。

―――宮城県桃生郡中津山の千葉泰蔵氏は結婚50年を経、しかも初婚のまま、子孫三夫婦打揃ひ、この度金婚節を施行せんと(後略)東北毎日新聞・明治20.10.25。    Photo_4

 分厚く膨大な『明治事物起源』著者は石井研堂(1865慶應元年~1943昭和18年)。本名民司。福島県郡山出身。年譜からその歩みをみると、

 7歳・医師大槻友仙に入門、10歳・郡山金透小学校、19歳・小学校教員検定試験合格し教員に、21歳・辞職して上京、岡千仭(鹿門)塾に入るが脚気を患い郷里で静養。
 24歳・再び上京、東京教育社に入り『貴女之友』『国民必携』(横書会機関誌)編集。25歳・東京有馬小学校訓導、神田松住町に新所帯をもつ。27歳・小学校をやめ少年雑誌『少国民』編集、同人誌『こじき嚢』発行。

 1895明治28年『少国民』に手旗信号を掲載し軍機漏洩で告発され、三ヶ月の重禁錮となるも大審院で無罪。その後も『今世少年』『世界の少年』『実業少年』などを編集、少年の憧れとなった。
「石井研堂は日本中で一番えらい人で、自分も長じてはあんなになりたいと思っていた」(『文章世界』編集・前田晃)。
 50歳・下谷根岸に新築。55歳・父に従い四国、中国、木曽路を周遊。58歳・活版印刷史料踏査のため九州地方巡覧。59歳・関東大震災に遭う。
Photo_5  1924大正13年、吉野作造尾佐竹猛らと明治文化研究会の創立に力を尽くした。原稿用紙文字は研堂の筆蹟(写真)。

 50年にわたる著作は『理科十二ヶ月』『中濱萬次郎』『漂流奇談全集』『釣師気質』ほか短いものを入れると数百編になる。
  2006昭和18年、79歳で逝去。その死を西田長寿、尾佐竹猛、木村毅、柳田泉という明治の先達が哀惜、志を継ぎ『明治事物起源』を重版した。 
 年譜で研堂が岡千仭塾入門したと知り、岡千仭(宮城県仙台)つながりがここにもと感心。東北から上京した青年たちは岡の学塾で、学問だけでなく人の繋がりも得たと察せられる。

『明治事物起源』活版印刷の項はとても詳しく参考になった。文献のみでなく長崎など現地に足を運び実際に見聞している為と納得、他の項目も同様だろう
 また、序文を寄せた仲間、協力者の高橋太華(福島県二本松)は東海散士柴四朗(会津若松)とも縁が深い。  

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