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2013年7月 6日 (土)

14歳大敵先生のち福島県選出代議士、鈴木寅彦

 はじめて聞く名は人名事典にあたってみる。それに人物評論があるとなおいい。明治・大正・昭和期のジャーナリスト横山健堂は維新前後の人物評論が得意で『新人国記』『旧藩と新人物』など著書も多い。その著『師範出身の異彩ある人物』に福島師範・鈴木寅彦が秋田師範・佐藤義亮(新潮社創業者)等と並べてあり逸話がおもしろい。でもそれでけでは足りないから手元の人名事典をみたが、載ってない。
 横山の鈴木編文末は「トントン拍子に出世して、遂に代議士になつた」である。ということは明治の衆議院議員、ならば何かあるだろう。探したらあった。吉野鉄拳禅『時勢と人物』でとりあげているが、かなりの辛口だ。
 ちなみに、鈴木寅彦と吉野鉄拳禅(臥城)は、ともに東京専門学校(早稲田大学前身)出身、鈴木が吉野より3歳上である。
 同じ人物が「愛嬌ある元気者」、かたや「金力が事業の上に働いて今日の基礎を築いた」と描写されている。その二編、並べてみる。

 鈴木寅彦:1873明治6年~1941昭和16年、会津若松市。1908明治41年、衆議院議員に福島2区から立候補、以後4回当選。東京瓦斯・朝鮮鉄道各専務を務めた(『明治大正人物辞典 Ⅰ』2011日外アソシエーツ)

  * 師範:師範学校。1872明治5年に教員養成機関として東京に設立し以後、各府県に開設。1886明治19年師範学校令により東京に官立の高等師範学校、府県に各1校尋常師範学校を置いた。

  『師範出身の異彩ある人物』より

 福島県河沼郡金上生れ鈴木寅彦は、14歳で福島師範に入学したものの小学以来の腕白が嵩じ余りに乱暴が激しく退学になった。しかし師範の門をくぐったその履歴で若松小学校の代用教員に採用された。受け持った高等科の生徒はみな年長で、年下の先生に難問をかける。だが、鈴木は参ったと言わず「研究して見ても分からなければその時教えてやる」と宿題にして生徒を煙に巻き、自分は夜を徹して調べた。
 翌朝、「ドウダ分かったか」。生徒が「分かりません」というと「ナンダこれぐらいのことが分からなくてどうする」という調子。又何かにつけて油断大敵の一語を金科玉条として講釈していたから「大敵先生」のあだ名がついた。

 習字に堪能で2年間小学校の卒業証書を一手に引き受けていた。しかし、いつまで代用教員でもないと辞職、裏磐梯山檜原銀山に事務員として住み込んだ。
 18歳の時、鬱勃たる壯志を抱いて東京に飛び出す。東京では親戚先輩を頼り、東海散士柴四朗の玄関番などもして就職口を見つけたのが、上野駅の改札係であった。
 あるとき高官が切符なしに改札口を通ろうとするのを咎めて、どんな身分の方でも切符なくては通しませんと頑張って、意気地ある駅夫と認められた。後に上野駅の庶務課長になり、トントン拍子に出世して、遂に代議士になった(1933横山健堂著・南光社)。

 


 『時勢と人物』より

▼ 権勢に渇する少壮派は何かと云ふと騒ぎ立てる・・・・・・鈴木なども年齢が若いだけに、素破とばかりに廃税減税の旗指物を押立てて楽屋中を触れ回った。そんな事で世間が喝采すると思ふのが間違だ・・・・・・商工業者にのみ媚びんが為に、営業税全廃を進物に遣ふ抔は以ての外だ。現下第一に全廃すべき者は、社会多数の苦痛を感ずる通行税だ。次には或る種の織物税だ。財源があらば兎も角、無ければ営業税は減税、地租は軽減に止むべきものだ。彼は多少新しい教育を受けてるのだから、旧式の扇情的机上論は止めて、実際的に真剣に掛かるべき筈なのだが

▼ 日本鉄道国有の際(1906明治39)には、清算事務嘱託を命ぜられ能力を実業界に認められた。以後、実業界に頭を突っ込んで今日に至ったものだが、日本鉄道会社解散時に報酬やら慰労金やら、しこたませしめた金力が事業の上に働いて、今日の基礎を築いたのだ。

▼ 関係する事業は、まず北海道瓦斯の専務だ。固より敏腕家であるから、東京に居て北海道に手を伸ばすくらいは朝飯前の仕事だそうだ。儲かりそうなのは成田鉄道で、此の方は取締役になっている筈だ。**鉄道は彼の最も経験を積んだ事業だけに・・・・・・

  ** 帝国議会会議録データベースhttp://teikokugikai-i.ndl.go.jp/cgi-bin/で鉄道委員会・鈴木寅彦を検索できる。

▼ 実業家なる以上は、何かの頭取位にはなって居ないとで、名も知られない泰平銀行の頭取に、更に頭を保険界に突っ込んで、日清生命の監査役にもなってる筈だ。彼は何種の事業に限らず手を出す(1915吉野鉄拳禅・大日本雄辯会)。

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