十五夜それとも十三夜
【2020年東京五輪決定】猛暑一段落の日本に明るいニュースがもたらされた。ただ、震災から3年経っても元の生活に戻れてない被災地を思うと、喜んでばかりいられない。手伝いをしてないのに生意気は言えないが、被災地の受け止め方はどうか、復興が後回しになりはしないか心配になってるかもしれない。原発事故により故郷に住めなくなって学校ごと町ぐるみで会津若松市に避難している大熊町の皆さんはどう受け止めたでしょう。どうか誰彼なく良い状況で、オリンピックを受け入れられるよう復興を早めてほしい。
猛暑にうだる間にいつしか9月、日暮れが早まりぽっかり浮かぶ月に秋を感じる。この月はオリンピック会議のあったブエノスアイレス、マドリード、イスタンブール、東京、そして福島の空にもかかる。晴れてさえいればどこにいても月を見られる。
ときどき思う。今見ている月は世界中を照らし、どこかの街角で道ばたで見上げる人がいる。そう思うと、灯りのついてない家に帰るとしても寂しさが和らぐから不思議。
もうすぐ中秋の名月。中秋は仲秋とも書き陰暦八月十五日のこと。この十五夜満月がいいという発想は中国のもので、陰暦八月十五日は新暦では2013.9.19にあたり日本ではまだ湿気が残る。千年前の貴族、藤原忠通は陰暦九月、それも十三夜がいいと詩にした。
陰暦九月十三夜は新暦では2013.10.17になり涼しく空気は澄み月も冴える。そうして十三夜には、これから丸くなるという期待感がある。これも日本人らしい感性といえそう。
詩は読み下したものを引用。注:翫(めでて喜ぶ)。窮秋(晩秋)。
九月十三夜翫月
藤原忠通(1097~1164)
閑窓寂寂 日に相ひ臨む
窮秋に属してより望み禁(た)ふべからず
潘室の昔蹤 雪を凌いで訪ひ
蔣家の旧径 霜を踏んで尋ぬ
十三夜影 古より勝り
数百年光 今に若かず
独り前軒に憑(よ)つて首を回らし見れば
清明此の夕 値千金
中国から漢字文化を輸入した日本は、訓読により漢文学・中国古典を理解でき、やがて真似ではなく日本人の感性で漢詩を作れるほど成熟した。千年昔の貴族は漢文を学びつつ日本独自の感性を取りいれた。時移り中国との交流が途絶えてからは、ますます日本独自の漢詩文を創作、新しい詩の世界がうまれた。題材も日本独自のものを扱うようになった。
たとえば頼山陽の「天草洋(なだ)に泊す」は蘇東坡をとりこみも日本らしい漢詩がある。ちなみに天草洋の洋は海。海は日本ではいいイメージだが、中国では旧字「海」には水と晦→くらい「くろぐろと深い[うみ]に意を表す」。さらに海には暗い、地の果てのイメージ、さらにはおどろおどろしい大魚が棲むとも。遠い昔、広い中国大陸を思えばありそうな想像だ。隣国でも「海」のイメージがこんなにも違う。知らないことが海の水ほどありそう。
ここまで偉そうな知ったかぶりの出所は【漢詩と日本文化】(石川忠久教授)大正大学・日本文化社会学主催の講演です。至福の2時間でした。興味を抱く人物が漢詩をしていて理解の助けにと聴講したのですが、そんなことより大きなものを得た気分です。
講師の石川先生は中国と日本の漢詩を自由自在に展開、行間も魅力的でした。そのうえ、生で漢詩朗詠の名調子が聞けて好かった。リズムのよい中国語読み、韻を踏んでいるのが何となくわかったような気になりました。
写真は昔よく見ていた番組のテキスト。
来る陰暦九月十三夜、今年は10月17日になる。その夜、月見としゃれてみようか。
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2013.9.19 記
今夜の中秋の名月は満月でいっそう素晴らしい。中秋の名月イコール満月と思い込んでいたが、月の軌道のせいで、完全な満月は微妙にずれるらしい。
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