童謡・唱歌・わらべうた、軍歌
♪ 野菊
遠い山から 吹いて来る
こ寒い風に ゆれながら
けだくきよく におう花
きれいな野菊 うすむらさきよ
②秋の日ざしをあびてとぶ とんぼをかろく休ませて しずかに咲いた野べの花 やさしい野菊 うすむらさきよ
③しもがおりてもまけないで 野原や山にむれて咲き 秋のなごりをおしむ花 あかるい野菊 うすむらさきよ(作詞・石森延男/作曲・下総皖一)
1955昭和30年頃の運動会、体操着とブルマーでダンスをした懐かしい曲〔野菊〕。掌でかたどった花を胸の前で咲かせ赤土の校庭に膝をつくと、赤とんぼが目の前をすーっと・・・・・・忘れられない。
たまたま図書館で『童謡・唱歌・わらべうた』(2013新星出版社)を見かけ借りた。見れば、大正・昭和世代の愛唱歌、ラジオできいた童謡唱歌、子守歌、絵描き歌、イラスト付き遊び歌〔なべなべそこぬけ〕など盛りだくさん。
孫の授業参観、“ゆず”の〔栄光への架け橋〕を合唱してくれたが、そんなイマドキの子らもママ達も楽しめそうな歌もある。
『童謡・唱歌・わらべうた』230余りの中には今でも耳にする〔鉄道唱歌〕に、なぜか軍歌も交じっている。
♪汽笛一声新橋を~ではじまる〔鉄道唱歌〕は、66番の♪明けなば更に乗りかえて山陽道を進ままし 天気は明日も望みあり柳にかすむ月の影♪まで歌詞を掲載。この鉄道唱歌、1900明治33年「地理教育鉄道唱歌」東海道編(66番まで)が三木書店から出版され、山陽、九州と全5集が出版され大人気を博した。
軍歌の方は、一般にいう軍艦マーチ〔軍艦行進曲〕1905明治38年(作詞・鳥山啓/作曲・瀬戸口藤吉)と、〔広瀬中佐〕明治37年(作詞作曲・不詳)と、『尋常小学唱歌』大正元年に採録された〔戦友〕明治38年(作詞・真下飛泉/作曲・三善和気)が載っている。
広瀬武夫海軍中佐は日露戦争旅順港の閉塞で戦死、以後軍神として慕われた。大正生まれの母が歌っていた
♪杉野はいずこ杉野は居ずや~~の題名が〔広瀬中佐〕だったと今ごろ判った。
♪守るも攻むるもくろがねの~~〔軍艦行進曲〕は軍艦マーチとして太平洋戦争中に演奏され、戦後はパチンコ店でよく流れた。
♪ここはお国を何百里はなれて遠き満州の~~〔戦友〕は日露戦争を描き14番まである。歌詞の「♪軍律厳しい中なれど」が陸軍軍法に違反していると、太平洋戦争では歌うのを禁止されたが黙認されていた。
3曲とも日露戦争にかかわるが、かの文豪・森鴎外も出征の途次、軍歌を作詞し刷って軍隊、知友に配ったという。医学博士森林太郎日露戦争第二軍軍医部長のそれは、
―――海の水こごる、北国も、春風いまぞ、吹きわたる、三百年来、跋扈(ばっこ)せし、ロシアを討たん、時は来ぬ。
十六世紀の、末つかた、ウラルを踰(こ)えし、むかしより、虚名におごる、あだひとの、真相たれか、知らざらん。
ぬしなき曠野(あらの)、シベリヤを、我が物顔に奪いしは、浮浪無頼の、 *エルマクが、おもい設けぬ、いさおのみ。 黒竜江畔、一帯の、地を略せしも、清国が・・・・・・(中略)・・・・・・
いざ押し立てよ、聯隊旗、いざ吹きすさめ、喇叭(らっぱ)の音。
見よ開闢(かいびゃく)の、昔より、勝たではやまぬ、日本兵、その精鋭を、すぐりたる、奥○将の第○軍。(明治37.4.19 都新聞)
* ロシアの伝説的英雄、シベリアの征服者、ドン-コサックの頭目。
『童謡・唱歌・わらべうた』は1952昭和27年〔アイアイ〕から1910明治43年〔われは海の子〕まで230余曲、馴染みの歌が並び懐かしい。思わず音痴を忘れ、♪お手々つないで野道を行けば~〔「靴が鳴る〕を歌い童心にかえってページを繰ったら〔軍艦行進曲〕の登場。エッ!と思った。
善し悪しは置いて、のどかな歌の本に軍歌を交ぜたのはなぜ?編集解説を探したが何もなかった。なにがなし軍歌には引いてしまう。しかし、戦前は戦争が身近だったから軍歌に違和感どころか、ヒット曲が生まれ愛唱された。
父や兄弟が出征、残された家族も働き手をとられ苦労が多い。厭戦気分が満ちては困るし戦意発揚に軍歌が必要だ。明治期も戦前の昭和も国民から軍歌を募集している。公募の軍歌で有名なのが、
♪見よ東海の空あけて~~〔愛国行進曲〕で作曲者は軍艦マーチと同じ瀬戸口である。
〔野菊〕は1942昭和17年、文部省*『初等科音楽』に掲載され、同じ年〔海ゆかば〕(作詞・大友家持/作曲・信時潔)が大政翼賛会に国民の歌として指定されている。
*初等科音楽: 第4集まであり教員向けもある。これに唱歌とともに君が代、明治節や軍歌など載っている。『童謡・唱歌・わらべうた』はこの方面から?
ちなみに昭和17年はまさに戦時中、2月15日シンガポール占領、6月5日ミッドウエー海戦敗北。軍歌のかげで戦死者はいったい・・・・・・。
| 固定リンク
コメント