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2013年11月 2日 (土)

早ソバ・ジャガイモ栽培、髙野長英(岩手県)

 江戸後期の蘭学者・髙野長英は*『夢物語』を著し幕府の対外策を批判、弾圧された「蛮社の獄」で知られる。獄中6年たまたま獄舎が火事になり脱走、各地を潜行しつつオランダ語書物の翻訳を精力的に続けた。この開国の犠牲になったヒーローは岩手県出身である。採りあげてみようと思ったが、教科書にものる有名人を書いてもなあと止めた。しかし、『岩手百科事典』(1978岩手放送)<髙野長英・ジャガイモ栽培>を読んで思い直した。
 *『夢物語』:甲と乙の問答体で、英国人のモリソンが日本漂流民を送り届けに来航したことを受けてイギリスの実情をのべ、幕府がその船を打ち払えば、恨みを買い取り返しがつかないことになるだろうと穏便な対処をすすめ、無二念打払令を戒めた。

 

  髙野長英 1804文化1~1850嘉永3。岩手県水沢出身。

 名は譲。号は瑞皐(ずいこう)・驚夢山人、潜行中は変名が多い。後藤実慶の三男。母方の水沢藩医・髙野玄斎の養子になる。蘭学の手ほどきを養父玄斎(杉田玄白門下)から受け、17歳で江戸に上り苦学して蘭学を習得した。
 22歳のとき長崎に赴き、シーボトルの鳴滝学舎で指導をうけてドクトルの免許を得た。1828文政11年シーボルト事件によりシーボルトは国外追放、門人らにも類が及んだが長英は熊本に難を逃れた。
 1830天保1年江戸に医院を開業。町医者として診療の傍ら蘭学塾を開き医学・科学書を翻訳。やがて渡辺崋山、小関三英らと交友がはじまり、幕臣・江川英龍ら当代の蘭学者と尚歯会を結成した。Photo


 長英は尚歯会グループにあって、『救荒二物考』(1836天保7年)を著し、天保飢饉に際し救荒作物を説いた。気候不順でも成熟する早ソバ・ジャガイモの二物について種類・性質・功用・栽培・調理法に至るまで詳細に述べた。この小冊子は各藩に珍重され、争ってジャガイモの栽培が進んだとされる。
 サツマイモ栽培法で知られる青木昆陽もオランダ語ができ著書もある。オランダ語は将軍吉宗の内旨をうけ、江戸参府のオランダ人と通詞を訪問、対話して習得した。
 写真の『二物考』は明治16年の群馬県勧業課翻刻、ジャガイモの図は崋山のよう。

 

 尚歯会は西洋の文物を研究、政治・経済論を交換する実践的な性格をもっていた。
 幕府はこれを弾圧、蛮社の獄である。長英は終身禁獄、永牢の処分を受けた。鳥井耀蔵ら朱子学一派によるでっち上げ弾圧事件は、その後の洋学者の活動に多大の影響を与えた。

 

 長英の生涯を通じた訳書は82部300巻に達するといわれる。訳書の分野は医学・薬学・衛生学・天文(星学)・地震火山・大気万Photo_2
物(窮理)・化学・農学・動植物(博物)・自然哲学・軍事科学(兵学)とあらゆる分野にわたる。髙野長運の長英伝記は書名を列挙、かんたんな説明をつけて親切だ。
 それにしても、外国語が読めるにしても内容を理解する知識・能力がなければ翻訳はできないと思う。また、長英の場合は書斎で落ち着いてではなく各所を転々としつつ訳述していたのだから驚く、素晴らしい頭脳だ。

 長英の理学に関する訳書「星学略記」「泰西地震説」、ヨーロッパ感、勝海舟など出会いの人びとを、水沢の緯度観測所技師・須川力が纏めている。

 入獄3年、長英は牢名主になり起居がそれまでより楽になった。その獄中で、『鶏の鳴音』を書き、自分が洋学を志したのは西洋に臣従するためではないと訴え、『夢物語』を書いた理由、尚歯会の学友を語り、蛮社の獄の口実となった無人島事件のねつ造に悲憤、また、老いた母の身の上を案じ和歌も詠んでいる。

 

 入獄6年目、獄舎が火事になった。囚徒は三日を限りに解き放されることになってい、長英も牢から出られた。そして、そのまま脱走、時に41歳。
 脱獄した長英は各地を転々としながら蘭書を翻訳、戦術兵器に関するものも多かった。それを宇和島藩主・伊達宗城が知り、ひそかに宇和島藩に招いた。藩士を選んで蘭学を修行させたのである。
 長英は宇和島で砲台の設計、多数の蘭書の翻訳をしていたが、滞在を幕府が知ったという噂がたち、宇和島を去った。その後、讃岐、広島、鹿児島、大阪、名古屋など転々としていたが、またまた江戸に戻る。
 青山百人町に住み沢三伯と変名。医業のかたわら翻訳に励んでいたが、突然幕吏に襲われ自害。1850嘉永3年、46歳であった。
 長英没後49年、1898明治31年正四位追贈される。郷里の水沢市(奥州市水沢区)に記念館があり、旧宅の一部は史跡に指定されている。

 

 参考:『髙野長英』須川力1990岩手出版 /『髙野長英伝』髙野長運1971岩波書店 /『我が郷土史』1933宇和島市和霊尋常小学校 /『コンサイス日本人名事典』三省堂

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