中国「演義小説」の英雄、誰が好い?
スクーリング授業「中国文学」最終日、試験が終わって外に出ると雨だった。折り畳み傘を広げつつ『封神演義』中の仙人なら雨風を操るなんて簡単だろうなあ、突飛なことを考えた。その訳は中国文学といっても杜甫や白楽天の詩などではなく「演義小説、7作品」 3ヶ月間毎週、英雄たちに出会っていたせいらしい。
家に平凡社[中国古典文学全集]全60巻があるが、未収録作品が『説唐』 『楊家府演義』 『説岳全伝』 『封神演義』と4つもあって「全集」と言っても網羅してる訳じゃない、当たり前なことに気付いた。せめて一作でもと『封神演義』を読むと、仙界と人界を英雄やら妖怪らが飛び交い戦っていて痛快、面白かった。
たまたま遊びに来た息子に本を見せたら、これ「漫画になってる」といい、中学生の孫も知っていた。国境を越え、時代を超え若者に好まれる物語のようだ。
ところで中国では、若くして『水滸伝』老いて『三国志』というそう。
『三国志』は政治的な駆け引きが描かれ、『水滸伝』は造反物語。底辺の人は自分が喧嘩に負けても黒旋風李逵(りき)や虎退治の武松らの活躍で胸がすっとするのだ。ちなみに、『水滸伝』は明・清時代に禁書になったという。
その『三国志』と『水滸伝』、背景の時代が900年ほど離れているが何も気にせず夢中で読んだ。それでもいいのだろうけど900年前は遙か昔だ。時代が違えば文化が違う、古典を読むならせめて年表をみようと思った。背景を知ればもっと楽しめるだろう。
スクーリングの先生は日本に長く住み日本の古典を研究してる中国人でした。日中の考え方や様式の違いなど何かと刺激を受け楽しみな授業だった。次は印象に残った違いの一部、
忠:
本来、主君に専心尽くそうとする真心で見返りを求めない。「ただ」(無料)。目上目下の関係ではない。「忠」を要求する側に利益誘導する気持ちがあるときは本来の「忠」ではない。
義:
個人の利害を捨てて公共の道理に従い人助けや恩返しをする気持ち。上下関係はない。
劉邦は蜀を建国したが国よりも義兄弟・関羽や張飛との義を重んじ、義弟張飛の弔い合戦に走り敗れた。国よりも義を結んだ兄弟をとるのだ。
仁:
思いやりの心であり博愛の精神、仁をもつ人は希まれるリーダー。
孝:
ファミリー、親に服従する心。中国や朝鮮では忠よりも孝が大切だと考えられた。
たとえば、道に外れた君主を三度諫めても聞き入れられなかったら、君主の元から去るべき。それに対し、道に外れた親を三度諫めても聞き入れられなかったら、号泣して従わなければならない。
中国の小説やドラマでなどで大事件渦中の政治家が親の喪に服すため帰郷、その間に政治が二転三転というのは、まさに「忠」より「孝」が大切だから。日本人の感覚と異なる。
さて、ひとくちに英雄といってもタイプがある。『三国志』の格好いい関羽・明るい豪傑張飛・レッドクリフ赤壁の戦いイケメン周瑜、『水滸伝』宋江・黒旋風李逵(りき)・虎退治の武松、『西遊記』孫悟空、『封神演義』姜子牙(太公望)・仙人・道士、関羽と同じく神に祀られた『説岳全伝』岳飛などいろいろで、好みが分かれそう。あなたは誰が好き?
試験に好きな英雄の英雄性について纏めよという出題があり、筆者は諸葛孔明にしたが芸がなかった。ブログでとりあげているような事績があるのに広く知られてない人物、英雄を探して自分なりの解釈をしたらよかった。今さら詮ないが。
<蜀漢の臥龍、諸葛孔明の英雄性>
蜀の宰相諸葛亮、字孔明は身の丈八尺、顔は冠の白玉のよう。容貌すぐれ、戦に出るときは羽扇、綸巾(かんきん頭巾)、鶴氅(道士の着物)をまとい、飄々として神仙の趣がある。
自軍の将兵が少なくとも戦略を駆使して急接近する大軍を退け(空城計)、死してなお「生ける仲達を走らせ」退却させた。英雄の面目躍如である。
しかし時に敗れる。敗軍の責が指示に背いた武将であれば、たとい愛弟子でも罰しなければならない。法は法として「涙を揮って馬謖(ばしょく)を斬る」も、その家族を憐れみ扶持を手配。やむを得ない決断ながら涙する孔明、その涙はみる者の胸をうつ。
劉備亡き後、丞相として後主劉禅を忠実に補佐する孔明。学問知識があり「漢室の再興」を図り、国を治めるべく、病の身をおして全力で後主に尽くす。
さて、いよいよとなり「後出師の表」を奉り魏の討伐に向かう。ところが時勢は味方せず、戦いは一進一退を繰り返す。百余日が過ぎたある夜「大星隕ちて漢の丞相天に帰す」 孔明終焉の地、五丈原は詩跡となった。
志し半ばで空しく散った英雄を惜しむ杜甫の「八陣図」「蜀相」、日本の土井晩翠「星落秋風五丈原」などは今も愛誦され、孔明の名を耀かせる。英雄の最後は文学になり長く記憶される。諸葛孔明はその一人。**********
毎日新聞<悼む>より
「井波律子さん 中国文学者 肺炎のため 2020年5月13日死去 76歳」
記事の見出し、<素人に優しい「案内人」>をみて、ほんとにその通りだと思った。「史記」をはじめ中国古典はおもしろいが難しいところもある。好きで読むから判らないところは読み飛ばすが、それでも気になるときもある。それが、井波さんの案内を読むと記事にあるように、素人にもわかり、もっと面白くなる。
岩波新書『中国五大小説』をはじめ著書いろいろ、中国古典が好きな人にお勧めしたい。
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