大熊町立図書館その他、近代デジタルライブラリー
この春、息子の次男が小学校を卒業した。式に参列♪仰げば尊し~ 生徒や父母に交じって歌い、12年前、彼が生まれた福島県大熊町へ手伝いに行ったのを思い出した。上野から常磐線に乗り大野駅で降りると、薄い青緑のしゃれた建物が目に入った。それは、町に原発があるから出張で来た人が泊まるホテルだろうと思った。
出産したお嫁さんが入院中、私はお兄ちゃんになった3歳児を保育園に送り迎えし、炊事洗濯をした。町の保育園で孫を一時預かりしてもらった後、家事の合間に自転車で辺りを見物したことがある。
深緑の森、水中の小魚も見えるほど澄んだ川、広い果樹園、 そして図書館も良かった。ホテルと勘違いした建物は図書館だった。外観もいいが館内の造りも凝っていて、書棚も閲覧場所もゆったりしていた。畳敷きのコーナーにはモダンなランプがあり、暖かみのある空間になっていた。
このような大熊町図書館の話をすると「原発のお金でしょ」とにべもない人が少なくない。そうかもしれないが・・・・・・ そうこうするうち息子が異動で大熊町を去り、図書館再訪の折はなかった。それどころか大熊町に入れなくなった。なんと2011.3.11東日本大震災・原発事故発生。図書館の本は一冊も持ち出せない。
現在、大熊町役場が置かれている会津若松市は明治維新まで会津藩が治めていたが、戊辰戦争に敗れ、本州最北の下北半島へ藩をあげて移住するはめになった。食べるにも事欠く中、遠い北辺斗南へ旅立つだけでも大変な事態だ。
それにも拘わらず会津藩士は子弟の教育を考え、蔵書をはるばる北の大地まで運んだ。戦に敗れてさえ本は残った。しかし、原発事故にあった図書館からは一冊も持ち出せない。戦より酷い原発事故。
原発事故後、町民の多くが100キロ離れた会津若松市に避難、学校も立ち上げた。『大熊町学校再生への挑戦』2012年刊には、著者・武内敏英氏ら大熊町教育委員会や町民が力を併せて、同じ福島県でも風土の異なる会津に小・中学校を再開、挫けない心が描かれている。しかしこの3月、大熊中学は卒業生56名に対し新入生は9名、
「少人数ならではの、いい教育をしてまいりたい」と校長先生。生徒を思う気持ちにあふれている。しかしながら、丸3年を過ぎてなお厳しい現実に先生方、生徒、家の人たちと皆さんの心持ちが気にかかる。
大熊小・中学校の生徒さんも調べ物など会津若松市立図書館を利用するでしょうか。私は2008年『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』 執筆中に何度か訪れた。館長さんから会津図書館ならではの資料を閲覧させて頂いたこともある。このように、図書館は本の貸し借りもさることながら、地元資料を探すには欠かせない。
図書館の蔵書や資料、今では居ながらにして検索できるようになった。会津若松図書館は全国に会津ファンがいる、さぞや検索数、遠方からの閲覧者も多いでしょう。
自宅のパソコンで「検索と閲覧が可能」な図書館がある。国会図書館・近代デジタルライブラリー(近デジ) http://kindai.ndl.go.jp/ である。
昔は国会図書館に通い、カードをめくり冊子を探してから閲覧申込、本が出てくるのを待った。コピーが必要なら順番待ち。やっと手にした本に探し物がなくて、がっくりもあった。
今は間違っても次をクリックすればよく、めっけものに行きあたる事さえある。近デジは明治・大正・昭和初期くらい迄、書名・人名・事項で検索、本編のダウンロードもできて無料。
ここに至るまで技術もさることながら、公開には出版・書店など諸々方々と葛藤があった様子。でも、研究者だけでなく一般人も利用できるありがたいシステム、これからもますます使いやすくしてほしい。当ブログの読者はきっと本や歴史好き、興味の事物を検索してはいかが。もう利用していそうですが。
さて、近デジで検索した本のページ数が400頁もあったらどうする? ダウンロードしても読むのは大変。私はその本を大学の図書館で検索、あったら閲覧に行く。やはり紙の本がいい。明治・大正期の本には時代の匂い、名残がある。
今は生涯学習の時代、公開講座を受けると図書館を利用できる大学が多い。何かの折、ある教授に、早大の図書館を気に入ってると話したら「私の話を聴くより図書館の方がいいでしょ」 謙虚なお言葉に恐縮。ともあれ、早大と共に母校の法政大の図書館も好き。
NHKニュースがgacco という大学の授業が無料で受けられるシステムが始まると伝えていた。受講すると、各々の大学図書館に入れるなら受講してみたい。
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