愛の林檎/蕃茄(あかなす・トマト)
―――蕃茄(あかなす)は外名をトマトといい西洋の野菜でありまして其身はいろいろな調理に用いられます。果の皮面に光沢があって熟する時は真紅となり、外観甚だ美麗で夏分暑い時などに是を見ますれば、涼しさを覚へしめ大いに心身を慰め鑑賞兼実理のある野菜であります。
この赤茄子は本邦に去来して未だ日が浅いからであろうが、西洋臭い匂ひがありますから一般に栽培せられず、食馴れぬからその甘美な眞味が判らぬのであります。
然し3、4回も食べますれば追々風味を覚え、食べれば食べるほど味がよくなり、西瓜(すいか)や甜瓜(まくわ)を食べるようにうまくなります
(『各種野菜調理法』大正6年日本種苗株)。
今夏は猛暑にくわえて激しい雨にも祟られキツイ。それに負けない体力作りに食欲を落とさないようにしないと。夏は凝った料理より、冷や奴、冷えたトマトの丸かじりなど素材そのままの方が食べやすい。トマトは調理してもよく、およそ百年前の『各種野菜調理法』にも蕃茄(トマト)の項があり、様々な調理法が載っている。ジャム・ソースはいいが、トマトの酢煮・塩漬・味噌漬・酒粕漬の方は試してみようと思わない。
夏野菜の胡瓜(きゅうり) 、朝漬・塩漬・青漬・乾物漬、糸瓜(へちま)の・塩漬・粕漬などなど、冷蔵庫の普及が未だしの頃昔は「漬けて保存」だったよう。糸瓜の田楽も載ってたけど、おいしいのかな。
写真のトマトはポンデローザーという品種で他にアリム・クリムソンカッション・テーブルクウヰンが有名と1925大正14『実験栽培蔬菜園芸』(蒿山房)にある。
ところが、『福島県農友叢書(園芸編)』(1942福島県農事講習同窓会)にある9品種をみると、前出のは一つもない。トマトの品種は多く、栽培品種は時代とともに変化してるのが分かる。
さて、トマトの初めは ――― 南米ペルーの原産で今より300年前栽培され、欧州は100年前、我が国は *紀元2369年宝永頃(1704~)出版の『大和本草』に「あかなす」唐柿、さんごじゆなす、等の名を以て蕃茄(ばんか)を説明あれど不明瞭。
広く世に知れ又栽培せられる様になったのは明治年代、殊に近年(大正)のこと
(『重要薬草栽培と其販売方法』1918殖産協会出版部)
*紀元: 一国の経過した年を計算する際の起点となる年。日本紀元は「日本書紀」の神武天皇即位のB.C.660年にあたる辛酉の年を紀元とするが、これは聖徳太子が601(推古9)から1260年さかのぼらせて定めたものといわれ、科学的根拠はまったくなく、江戸時代すでに本居宣長らが疑問を出している。1872明治5年の太政官布告でそれを日本紀元と定め、以来第二次大戦終結まで公式に用いられた(『日本史辞典』角川書店)。
――― 日本に渡来したのは明治の初年である。在留の欧米人が故国からその苗を輸入し栽培、それと同時に一般的に輸入されるようになつた。しかし当時は見なれないもので、誰も進んで食べようとはしなかつた。
その後、信州の軽井沢で、避暑に来る外国人に目をつけ利に敏い人が栽培に手をつけはじめた。漸く食前に上るようになつたのは明治27、8年頃から・・・・・・ 一度味を占めるととても忘れることが出来ない。殊にこの美しい色彩の魅力、それは「愛の林檎」といふ異名までつけられるようになつた。
次は<文学上のトマト>
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みたり 斎藤茂吉
板敷きにトマトころがれり白玉のきゃべぢの露にトマトぬれつつ 吉植庄亮
蕃茄の色づくまでの淫雨かな 鬼憐
農園に入ればトマトの赤き哉 崇山
(『蔬果と芸術』金井紫雲1933芸艸堂)
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