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2014年7月19日 (土)

五稜郭で戦う赤衣の額兵隊隊長、星恂太郎(宮城県)

     星恂太郎  1840天保11~1876明治9年

 東照宮宮仕・星道栄の子。名は忠狂。字は士狷。号は無外。
 幕末維新期の仙台藩士・星恂太郎は、性格激しく、狂暴という者さえあった。よく呑み、酔えば音吐朗々詩を吟じ、人は耳を傾けた。
 時は幕末、はじめ攘夷論をとなえ、開国論者の大槻盤渓(洋学者・砲術家)を国賊とみなし刺そうとした。しかし、会って、その説くところを理解し、たちまち開国論に傾いた。
 
 1864元治1年、恂太郎は江戸に奔り、幕臣の西洋砲術家に学んだ。次いで各藩の兵備を見たく、その費用を同じ仙台藩士・富田鉄之助(当ブログ2013.3.30剛毅清廉の実業家)に相談して得ると、四方へ出張した。
 次ぎに横浜に赴き、兵学、砲術を学んだ。その傍ら衣食の為、ヴァンリードというアメリカ商人の店で働いた。この店は、各藩に鉄砲などを売りこんでいた。

     高橋是清(のち首相・政友会総裁)の星恂太郎談
 ところで、このヴァンリードが恂太郎の紹介で、仙台藩からアメリカ留学に派遣される高橋是清らの面倒を見ることになった。しかしヴァンリードは信用を裏切り、藩から渡された学費や滞在費用を着服してしまった。そのため、高橋是清はアメリカに渡ってから奴隷に売られたり、苦労するハメに陥ったのである(『是清翁遺訓』1936)。

 1868明治元年、恂太郎は藩に帰ると、若者千余人を集め、赤装束を着せ、額兵隊と名付けこれを訓練した。いよいよ戊辰戦争となり東北に官軍が進出してきた。仙台藩は戦いの準備、額兵隊も出征すべく武器を整えた折しも、奥羽列藩同盟が瓦解した。すると、藩論は一変、官軍に謝罪謹慎、恭順となった。
 出兵を止められた恂太郎は憤慨、藩に背いて額兵隊250名を率いて脱藩。艦船を率い松島湾に停泊していた榎本武揚の元に奔り、共に北海道を目指した。
 北海道では額兵隊長として各所に奮戦、箱館五稜郭では土方歳三に属し戦った。木古内口の戦闘でもっともよく戦ったのは額兵隊である。

 恂太郎は砲台で指揮していたが、砲車が粉砕されると自ら銃をとって発射した。しかし弾丸尽き退却。建設時には海岸から遠く離れ、砲爆には絶対安全な場所と築かれた五稜郭ではあったが、兵器の発達はめざましく、兵士は不安から脱走するものが相次いだ。
 官軍はしきりに降伏をすすめ、酒五樽を寄越した。これに榎本は
「糧食弾薬の類はあえて望まぬ、ただ賜る処の酒は喜んで酌まん」。
 ところが、毒を疑って官軍の酒を飲もうとする者がない。恂太郎は笑いながら、
「窮余の我に対していかでか毒を盛らん、安んじて酒を酌むべし」と、樽の鏡を割り椀に酒を汲んだ。これを見て諸将は争って飲んだ(『近世名将言行録』1935吉川弘文館)。

 1869明治2年5月、五稜郭ついに陥落。
 ちなみに、榎本に降伏をすすめたのは官軍の海軍参謀、恂太郎の旧知・黒田清隆である。降伏した榎本らは東京に護送され、星は弘前藩に幽閉された。
 1870明治3年、許された恂太郎は北海道に住む。

    林董(のち外相)の星恂太郎記
 仙台藩に赤衣を着たる歩兵ありて額兵隊と称し、その隊長を星恂太郎と云ふ。
 仙台藩すでに降服の後、隊を率いて脱走の船に赴かんとしたるも老母ありて、その看護を託する者なきに困却したるが、某の女この事を聞き、自ら進んで星に嫁し老母の扶助を引き受けたるにより、星はその志を告げ遂ぐることを得たり。
 後に脱走の徒恩赦ありたる後、子を挙げたりと聞く。恂太郎死後、頗る窮境に陥りたるを榎本等久しく扶助しおりたる(『後は昔の記』林董1910)。

 1871明治4年、政府は札幌に開拓使庁をおく。恂太郎は製塩業が有利だとして開拓使に建白、開拓使出仕(開拓使権大主典)となった。そして、北海道南西部の後志(しりべし)国岩内郡堀株製塩場詰を命ぜられた。
 1872明治5年、千葉県行徳の民を雇い堀株村にて塩を煮、製塩をはじめた。しかし、製塩業の利益がなく開拓使は廃止を決定、恂太郎も免官となった。そこで、恂太郎は自ら事業を立ち上げようとしたが、病にかかり仙台へ帰った(『北海道史人名字彙』1979)。
 明治9年7月27日、病は癒えず37歳の若さで没。墓は仙台市北六番丁萬日堂に。

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