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2014年8月30日 (土)

関東大震災: 蠹魚(しみ・紙魚)の自叙伝・内田魯庵

 “泥と格闘”広島土砂災害は報道される度に死者が増え、大変な惨状だ。夏から秋、季節の変わり目は災害が起きやすいのだろうか。間もなく9月1日、関東大震災があった震災記念日である。その日はあちこちで災害避難訓練が行われる。その訓練、孫を学校へ引き取りに行くと、生徒全員が防空頭巾をかぶり校庭に座り迎えを待っていた。仕事を休んで参加する親は負担だろうが、こう災害が続くと避難訓練は大切だ。

  1923「大正十二年九月一日帝都大震災大火災大惨状」ほか関東大震災の新映像が、東京国立近代美術館フィルムセンターに収蔵されたという。9/27から同センターで特集上映される(毎日新聞2014.8.28)。
 ◇東京・丸の内で建設中に崩落300人が犠牲になった内外ビル 牛込駅(現・飯田橋駅) ◇見せるべきではないと国の通達後に削除された遺体の映像など。

 たまたま、『魯庵の明治』(講談社文芸文庫)を読んでいたら「灰燼十万巻」、東京日本橋・丸善炎上の話があった。関東大震災かと思いきや1909明治42年末の火事、本もろとも焼けて了ったのだ。その丸善は関東大震災で再び燃えた。丸善の顧問・魯庵は東京生まれの東京育ち、住み慣れた街が破壊され万巻の書が灰になった衝撃は大きかった。

     内田魯庵 1868明治1~1929昭和4

 本名・貢、別号・不知庵。
1_3 明治中頃から「女学雑誌」「国民之友」に評論を発表、批評家として認められた。二葉亭四迷と親しく、ロシア文学に早くから影響を受け、ドストエフスキー『罪と罰』を日本で初めて紹介した翻訳家、『暮れの二十八日』など小説家としても知られる。また、随筆家として文明批評や回想記などすぐれたものを残し、今なお読者を持つ。

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 魯庵の小説、翻訳、随筆などは各地域の図書館に置かれているが、関東大震災10ヶ月後に書かれた『蠹魚之自伝』(とぎょのじでん)はあまり見ない。引用、紹介したい。
 蠹魚(とぎょ)の蠹はとも書き、樹木のしんを食う虫、紙を食い荒らす8mmほどの昆虫で紙魚(シミ)のこと。はじめ『蠹魚之自伝』の蠹魚が読めず、意味も判らないので一旦は投げ出した。でもせっかくだから頁を繰ると、海老と見まごうイラスト、何これ?紙魚(しみ)の拡大図だった。つい気になって読みだすと軽妙な筆致、気がつけば魯庵の世界に取りこまれていた。

   <蠹魚之自伝>(とぎょのじでん)

「罷出でたるは此のあたりの古本箱に棲む蠹魚(しみ)にて候」とシヤリヤピン(ロシアのバス歌手)張りのバスを張り上げてみてもこの体じゃ押しがきかねェ。だが、あんまり安く扱つてもれェたくねェ。虫眼鏡で覘いて見て吃驚(びっくり)しなさんな
・・・・・・武備あるものは必ず文事ありで、東西古今の典籍をパンとしてゐる俺の頭は諸子百家をはちきれるほど詰め込んでをる
・・・・・・人間の垢をしやぶる虱や台所を駆けずり廻って総菜のつまみ食ひする油虫のやうな賤虫族と違つて、俺は古い墨の香に陶酔する虫の中の隠君子さまだ。
 だが、去年の地震ぢやァ大学図書館を初め松廼屋文庫やそこら中の俺たちの眷属の植民地が焼き払はれる。仲間の奴らは惨死する。目もあてられねェ。隠君子だなんて引込んぢやをられん。
     ―――中略―――
 三方から火を喰止めて国家の貴重な文献を漸とこさ助け、戦場なら安く見積つても感状物だが、本ぢやイクラ貴重書を助けたのでも拾ひ首ほどの手柄にもなれねェと見えて、御苦労だとも云はれねェんだ。之だもの、そこら中の官庁で国家の重要な記録が灰になつちやつたのも少とも不思議はネェのさ。
・・・・・・人間は無精で横着で、オマケに書物に目の利く奴が根つから無ェので、大切なものまでも放たらかして置く
・・・・・・人間は汝(うぬ)が無精や手ぬかりを棚へ置いて蠹魚蠹魚と書籍の滅亡を俺たちばかりのせゐにしてやがる。イヤだ、イヤだ。俺はもう蠹魚の生活にグッドバイをして、来世は聖賢の文字を触つた功徳によつて、本なんぞを読まねえでも大臣になれる金持の貴族の坊ッちやんにでも生れ変りてェもんだ(大正13年5月4日~31日東京日日新聞)。

      <永遠に償はれない文化的損失>(大正12年10月10日~23日東京日日新聞)

 マダ流言飛語が全く絶えない地震から一ヶ月半後「関東大震災で焼失した図書を追懐」、まで連載された。地震で落ちた屋根の修繕がマダ出来ず、雨漏り悩まされながら、破れ畳で一家十人で半罹災民として生活するなかで魯庵はこれを書いた。
 (一)京橋・日本橋・神田から下谷・浅草・本所・深川へ跨がる罹災地は一面の焼け野原、横浜から房総湘南一帯も滅亡。日本橋・丸の内界隈の大建造物も焼失。しかしいずれ再建できるだろう。それより、百年たっても永久に保障されないものがある。
 (二)真に惜しむべき大損失は、金に見積もれない歴史的建造物、古芸術、古記録、稀覯書その他多くの文献の滅亡である。
 (三)東京帝国大学図書館も今度の震災の最大禍、70何万冊の殆どが滅亡した。外国からも寄贈があったが、それだけでは図書館本来の役目は果たせない。
 (四)被服廠に隣接する松廼屋(まつのや)文庫には能・歌舞伎・徳川時代の民衆文芸・名家巨匠の書き入れ本などがあり、安田善次郎は千金の稀本でも借覧させた。それが焼けてしまい「我々読書生にとって最も愛惜にたえないのはこの松廼屋文庫の焼失である」と魯庵は嘆く。
 (五)黒川文庫のご宸翰や国宝的古筆の万葉の断簡を初め名家の自筆藁本(草稿)などもみな灰になった。美術史の損失は浮世絵、縁起絵日記、古畫珍什にまで及ぶと魯庵は惜しんだ。
 (六)最も遺憾に堪えないのは、内務、大蔵を初め消失した各官庁の記録及び調査資料の全滅。同じ歳月と同じ費用をかけても決して再び得られないと魯庵は大憤慨、大震災の最大損失だと歎く。数十年間数百人の吏僚を役して調査せしめたナショナル・レコードの殆ど全部を焼いたのは文明国としての恥辱と言い切る。
 (七)震災の翌日、動物園が焼け大小猛獣が射殺され、博物館も延焼のニュースの後、「災厄に鑑みて貴重の文献を収蔵する文庫は普通の建造物から隔離し、万全な防火設備の完成を図らなければならない。稀覯書の複製と重要な記録の副本作成は文化上の重大な事業である」。

 現代はコピー機能が発達し魯庵の心配の半分は解消されているが、文書の保存についてどうだろう。保存可能となっても、誰もが見られるシステムができあがってないから、好奇心が人一倍強い魯庵を満足させられるものではなさそう。

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