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2014年9月13日 (土)

ミシンと明治・大正・昭和

 卓球の試合で浦安ディズニーシーそばの体育館に行き、老骨にムチ打ち動き回って今日は筋肉痛。昨日は雨降りの平日にもかかわらず、舞浜駅はディズニーランドの客で混雑。改札を出、エレベーターに向かうと先客がいた。学校が休みなのか女子高生らしい数人がディズニーのあれこれを身につけ楽しそう。エレベーターの扉があくと1人が「どうぞお先に」といい「ありがとう」と乗った。エレベーター内は彼女らのキャリーバッグもあり、ギュー詰め。でも、みんな笑顔。「楽しんでね」と外に出た。
 夕方、再びエレベーター。朝のカラフルな服装の平成ガールを思い、ふと、自分で縫うなんてないだろうと思った。だいたい家にミシンあるかな?
 昔、ミシンは花嫁道具、裁縫好きの私はオムツをはじめ子どもの普段着はほとんど縫った。はじめ足踏み式、いつの頃からか電動に買い換えた。「英語のソーイング・マシンが略されミシン」というJR車内のクイズ広告を見たせいか、ミシンを思い出した。

 ミシンはイギリスで18世紀産業革命期に発明され、以来改良され進歩したという。日本にはじめて渡来したミシンは、安政年間アメリカ総領事ハリスから徳川将軍家定夫人に献上された一台。しかし、このミシンは一般の目にふれることはなく、中浜万次郎が咸臨丸で持ち帰ったミシンが日本初のよう。石井研堂『明治事物起原』に次の記事があった。

 ―――中浜万次郎、1860万延元年、大使衛護船の通詞として米国に渡り、此年五月帰帆す。時に、写真器械と裁縫ミシンとを携へ来たり、庶人に示して其効を弘めしといふ。これを本邦裁縫ミシンの始とす

 また、ミシンの使用を初めて日本人に伝えたのは、宣教師ブラウンの夫人という説がある。ミス・キダーによるミッション・スクールでの裁縫授業の奨励、裁縫技術を伝道に活かすなどもあったらしい。明治期にミシンの輸入がはじまり、洋装の普及とともに需要がました。その時どきの世相が見えそうなミシンの話、いくつか拾ってみる。

1894明治27年:『工芸技術教授書・自習独特』大阪工芸

 今の世にミシンほど一家の中に忠義なる者はなし―――の書き出しでミシンについて3頁ほど記しているが、これだけでは自習できず何も縫えない。ただ、附言の
ミシンは鉄製ゆえ甚だ錆の着き易きものなれば1週間に一度宛は油布にて丁寧に掃除」に、ミシンもはじめは鉄製だったと知った。しかに鉄は錆びやすいから掃除しないと。

       1919大正8年:『女が生活するには』中村孤月・大日本雄辯会
 ――― ミシンではシンガーミシンが広く行われて居りまして、機械は月賦で販売しますから、大した金が無くとも買ふことができます・・・・・・地方でミシンを覚えますのには、月賦で売つた所で、無月謝で教えます。

             『応用自在現代広告文句辞林』千早正寛

 ――― ミシン一台で裁縫全部を遊ばす大経済を成程と御承知遊ばすにはシンガーミシンを実際ためして御覧になるに限ります。
  そよ吹く風の初秋に際していとも親しむべきは、家庭用シンガーミシンにて、時節に有り勝ちの憂愁の思ひも消散し給ふべし。実益多きが上に趣味も亦秋と共に深からん

1931昭和6年:『借金の合理化』改政社・著者の犀川長作は弁護士

ミシン金融の項:東京にある6つの業者・店名、住所、電話が掲載されている。
―――(序)およそ、この*不況時代に処してゆくには、どうすれば・・・・・・おとぎ話みたような金儲けの雑本は店舗に堆積されている。溺れる者は藁でもつかむとやらで、迷へる民衆は或いは手にするものがないとも限らないが、その日暮しの庶民階級にどうして金儲けができようか
―――本書は、その階級の人々に、でき得る限りの親切と、丁寧と、そして極めて平易に、金融利用の秘訣を提示したものである。

  *不況時代: 昭和5年、世界大恐慌が日本に波及、不況は昭和7年ごろまで続いた。

Photo
1948昭和23年:『最新機器総合型録』(日本科学技術連盟)
     <ミシン>
 「ミシンは近代文化の所産で、その発明普及が衣料文化の飛躍的進歩或は衣料製作の能率化、画一化などを通じて、世界人類の福祉に貢献・・・・・・
 この観点から我が国の現況を見れば、ミシンの保有台数は、太平洋戦争前1000人あたり19台、戦後は1000人あたり7台に過ぎず、東洋諸国間においてすら極めて低位にある実情で、将来文化国家としての日本はミシンの保有台数を欧米諸国のレベルに引あげるべきで、
その上多数の引揚者戦炎者(戦災?)、遺家族等の更生用機器としての用途、又食料輸入の見返品としての適格性を思ひ合せる時、その前途は輝かしい光明に満ち満ちて居ります・・・・・・

 技術の面では戦時中の輸入途絶による国産化などの必要から、却つて相当の進歩を遂げ・・・・・・今や各ミシン製造メーカーは終戦と共に立ち上がり、本年度は13万台、来年度は20万台を越える計画であります」

 この『最新機器総合型録』には国産ミシンの写真があり、蛇の目ミシンが懐かしい。カタログにあるミシンをあげてみるが、覚えのあるメーカーありますか。また、現在も生産されているかな。

 トヨタミシン・リズムミシン・三菱ミシン・東京アサヒミシン・パインミシン・イシイミシン・津上ミシン・蛇の目ミシン・マルタミシン

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