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2014年11月15日 (土)

明治の大金持ち、斎藤善右衛門(宮城県)

“「左官科」の修了式が2014.11.12開かれた”というコラム(毎日新聞)をみた
 東日本大震災の復興工事などで深刻化する建設業界の人材不足を解消するため、宮城県立仙台高等技術専門学校(仙台市)が左官科を5年ぶりに復活させたという。技能を習得した6人は「建造物りで復興を手助けし、左官業をずっとしていたい」と決意。こうした若者、それを支え応援する人たちには心を動かされる。
 心を動かされるといえば、テニスプレイヤー錦織圭選手の大活躍が日本中を湧かせている。2014.11.15今夜のツアーファイナル準決勝が楽しみだ。こんな日本人がいたのかと驚くばかり。ところで錦織選手の進出とともに増える賞金に目がいく向きもあり、お金の計算をテレビでやっている。他人のお金、余計なお世話と思うが気になるらしい。運動選手や芸術家など自分の技術、能力を磨いて得たお金だから多くてもいいと思う。
 ところで生まれつきお金持ちという人間もいる。明治・大正期、斉藤善右衛門という大金持ちが宮城県にいた。生まれつき裕福でしかも理財に長けて財産はふえる一方、よく言う人は少なそう。興味をもちにくいが、エピソードの「戊辰戦争に軍資金を寄付して出征」が気になり、少し見てみた。

       斎藤善右衛門

Photo 1854安政元年、仙台藩領桃生郡前谷地村黒沢(石巻市)に生まれる。
 父善次右衛門は先祖代々の豪農で地主・酒造業で財をなし、献金により仙台藩の中級武士である「大番士」身分を与えられた。戊辰戦争に軍資金一万両を献じて従軍したが、白河で戦死。

 1868明治元年、善右衛門は14歳の若さで家督を相続。所有地一千町歩に及ぶ大地主。家政を叔父に托し、藩校・養賢堂に入学。学を修める傍ら、経史、戟剣を学んだ。
 1870明治3年10月、後見の叔父、廉吾とはかり、扶助米12石5斗秩禄を奉還して帰農を願い出て藩主はこれを許し、短刀一口を賜る。
 土着後は家庭教師を招聘して学術を研修したが、自らは福澤諭吉の著書を耽読し、政治経済などの研究に傾倒した。
 1871明治4年、前谷地村村長に公選される。
 1874明治7年、戸長を辞職。
 1875明治8年、関西遊歴。各地の人情風俗を見たり、商売上の知識を得ようと修養の旅にでた。家業の酒の販路を広げようと酒造家を歴訪するなどしていたが、母親が病気になり帰郷。しかし間に合わなかった。
 1879明治12年、自作農を廃す。

 1880明治13年、宮城県会議員に当選するも、病と称して辞退。
 1881明治14年4月から6月まで再び関西再遊の旅にでる。
 1882明治15年、質屋業を改めて、金穀貸付を専門にすることにした。
 1883明治16年4月、また、周遊の旅に。
 1889明治22年、酒造業廃止。斉藤家の酒造業は百数十年間これを経営し、同家富の一大源泉であったが、政府の酒造取締りや自家の酒の需要が減ったことなどにもよるらしい。

 1890明治23年、川崎銀行が設立した土地会社・山口店から田地約660町歩を一括して買い取り、東北随一、千町歩地主に成長した。この取引については当時、日本銀行総裁の富田鉄之助の意見をきいている。これらの詳しい経緯は『斎藤善右衛門翁伝』に詳しい。
 この年6月、貴族院多額納税議員候補者となり、仙台の富豪・金須松三郎と対抗したが一票差で敗れる。そのころ収めた直接国税は2614円79銭5厘、県下第一であった。
 1892明治25年、衆議院議員に当選。しかし、政界の内情を知るに及んで翌年末辞任。

 この年、家訓『土地管理心得書』を定め、小作地管理・小作契約の近代化を進めた。また、善右衛門は投資の手腕があり、理財の天才といわれ、事業の見込み外れをしたことがないという。
 1894明治27年、貸付のことで告訴され収監され、新聞を賑わした(福島事件)。
  その他、石塚事件、大谷派本願寺財政整理、箱清水前山国有林下戻などが『斉藤善右衛門翁伝』に載っている。
 1901明治34年、育英貸費事業を開始。
 1909明治42年、全財産を挙げて金融会社・斉藤株式会社設立。写真はこの年、数え年53歳。
 この年6月、東北大学図書館建築費に5万円寄付。
 1921大正10年、学術振興に寄与する目的で財団法人斉藤報恩会設立。
   300万円の基金をもち、東北地方における学術研究、産業開発、社会事業の助成に果たした役割は高く評価されている。
 1924大正13年、仙台信託株式会社創立
 1925大正14年7月25日、72歳で死去。

参考:『明治時代史大事典』2011吉川弘文館 / 『斎藤善右衛門翁伝』1928財団法人斉藤報恩会。

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