狂歌百人一首、大田南畝(蜀山人)
今年も纏まりのないブログを読んでくださってありがとうございます。新しい年が皆さまにとってより良い年でありますように。
気忙しい師走、うかうかしている間にもうすぐお正月。昔子どもだった頃、お正月には羽根付き、百人一首の絵札で坊主めくり、トランプもした。百人一首が好きになり全部覚えたらカルタ取りが楽しくて毎日でもしたかった。でも、札をとれない弟妹が「つまんない」と言うし、読み手の大人も忙しいといつの間にかしなくなった。
現代の遊びは何もかもゲームに取って代わられたようで、のどかな遊び風景は滅多にみられない。今どきの子は目の前に人が居なくても一人で遊べる。スマホやゲーム機なら相手の顔色を窺わずにすんで気楽だ。だけど人付き合いの練習はいつ何処でする。
百人一首といえば「小倉百人一首」が有名。他に狂歌百人一首・百人一句・百人一詩など変わり種、茶化したり皮肉ったりもあったが罪に問われなかった。ところが、発売禁止になった百人一首があったと『有閑法学』(1934日本評論社)にでていた。
――― 1693元禄6年「芝居百人一首」と題して出版すると、書物奉行・服部甚太夫に「卑しき河原者をやんごとなき小倉の撰にまねして憚りあり」と注意を受けた。そこで「四場居色競」と改題、しかし体裁は変えなかったのでさらに町奉行・能勢出雲守より発売を禁じられ、版元の平兵衛は軽追放に処せられた。
数十部売り出したところで禁書になった「芝居百人一首」(四場居色競)現存するものがごく僅かで、それを演芸珍書刊行会が複製1914大正3年に出版した。その複製原本の持主が関根只誠という人で、彼が書き込んだ奥書により発禁の理由分かったのである。
『有閑法学』著者の穂積重遠は、明治・大正・昭和期の民法学者で戦後、最高裁判所判事になった人。法律学者と百人一首は結びつきにくいが、穂積は「法律家だって笑い話くらい読む・・・・・・一口話とか川柳を読
んで頭が権利義務の化石化するのを防いでいる」というユーモアの持主。まだ女性に参政権の無い時代、女性参政権の法律が議会を通過しなかったのを残念がる所もある。
裁判所ではないがお堅い役所に勤めながら笑いを文化にしたのが、江戸後期の文人、大田南畝(蜀山人)。幕府の能吏でありながら、各方面の文人・芸能人と交わり、江戸市民文化の中心となり多くの作品のを残した。その中の「狂歌百人一首」から、つい笑ってしまったものを抜粋してみる。近代デジタルライブラリーhttp://kindai.ndl.go.jp/ 『大田南畝集』を見れば他にもいろいろ愉しめる。
ちなみに並び順は、第一首・天智天皇からはじまり第百首・順徳院まで「小倉百人一首」と全く同じ。選者に諸説あるが並び順は定着しているようだ。
狂歌百人一首 蜀山人
秋の田のかりほの庵の歌がるた とりそこなつて雪はふりつつ 天智天皇
いかほどの洗濯なればかぐ山で 衣ほすてふ持統天皇 持統天皇
あし引の山鳥のをの*しだりがほ 人丸ばかり歌よみでなし 柿本人丸
*したり顔
白妙のふじの御詠(ぎよえい)で赤ひとの 鼻の高ねに雪はふりつつ 山部赤人
鳴く鹿の声聞くたびに涙ぐみ 猿丸太夫いかい愁たん 猿丸太夫
わが庵は都の辰巳午ひつじ 申酉戌亥子丑寅う治 喜撰法師
ここまでは漕出けれどことづてを 一寸たのみたい海士の釣舟 参議篁
吹きとぢよ乙女の姿暫とは まだ未練なるむねさだのぬし 僧正遍昭
みなの川みなうそばかりいふ中に 恋ぞ積もりて淵はげうさん 陽成院
陸奥のしのぶもぢもぢわが事を われならなくになどと紛らす 河原左大臣
月見れば千々に芋こそ食いたけれ 我身一人のすきにはあらねど 大江千里
このたびはぬさも取敢ず手向山 まだその上にさい銭もなし 菅家
山里は冬ぞさびしさまさりける やはり市中がにぎやかでよい 源宋于朝臣
心あてに吸はばや吸はん初しもの 昆布まどはせる塩だしの汁 凡河内躬恒
ひさかたの光のどけき春の日に 紀の友則がひるね一時 紀友則
忘らるる身をば思はず誓ひてし 人のいのちの世話ばかりする 右近
徳利はよこにこけしに豆腐汁 あまりてなどか酒のこひしき 参議等
由良のとを渡る舟人菓子をたべ お茶のかはりに塩水を飲む 曾禰好忠
瀧の音は絶えて久しくなりぬると いふはいかなる旱魃のとし 大納言公任
あらざらん未来のためのくりごとに 今一度の逢ふこともがな 和泉式部
名ばかりは*五十四帖にあらはせる 雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
*源氏物語に「雲隠の巻」あり名のみにて文なし
大江山いく野のみちのとほければ 酒呑童子のいびききこえず 小式部内侍
夜を籠めて鳥のまねして まづよしにせい少納言よく知つている 清少納言
友もなく酒をもなしに眺めなば いやになるべき夜半の月かな 三条院
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に また寝酒のむ須磨の関守 源兼昌
何ゆゑか西行ほどの強勇が 月の影にてしほしほとなく 西行法師
波かぜの常にかわれば渚こぐ あまの小舟の船人かなしも 鎌倉右大臣
定家どのさても気ながくこぬ人と 知りてまつほの浦のゆふ暮 権中納言定家
風そよぐならの小川の夕ぐれに 薄着をしたる家隆くっしゃみ 正三位家隆
後鳥羽どのことばつづきの面白く 世を思ふゆゑに物思ふ身は 後鳥羽院
百色(ももいろ)の御歌のとんとおしまひに ももしきやとは妙に出あつた 順徳院
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