時勢は妙なもの、ドイツ仕込み平田東助(山形県米沢)
―――時勢というは妙なものだよ、一山百文と軽蔑された東北からも大臣を出すようになったじゃないか。伊藤内閣に原敬、今度の桂内閣に平田東助、これで二人出た。東北だから大臣を出すことができぬ、あるいは大臣となるべき人物がないという理由は立たぬ。維新以来政権が薩長土肥の手に握られていたからだ。
原敬も平田東助も、東北人としては大したことはない。山高く水清くして東北に偉人傑士輩出す。この二人は第二流なるものの大臣となるは薩長輩に人物なきを示す。時は公平なる審判者であり、薩長閥族も東北人士の力を借りなければならぬ時至りたるものなり。東北人士の将来の多望なることを知ろう
(福島民友新聞)
肖像写真:「独逸学協会の誕生~獨協学園の起原」展図録
ときどき国会議事堂そばの「衆議院憲政記念館」特別展を見に行く。維新の元勲や大臣の事蹟よりも法令文書の原本や日記書簡などに加えて事物の展示がその時どきの世相を伝えて興味深い。ところであるとき憲政記念館ではなかなか東北人に出会えないのに気付いた。注意不足かもしれないが原敬と平田東助しか記憶にない。
その平田東助と名の付いた展示をみたのに内容をまったく覚えていない。それが、獨協大学天野貞祐記念館「独逸学協会の誕生~獨協学園の起原」展示をみて、東北出身二人目の大臣平田東助が気なった。東北出身で長州藩出身の軍人・政治家の桂太郎とどういう縁かなと思ったのである。平田東助は桂内閣の農商相・内相を務めている。夫人は品川彌二郎の養女(山県有朋の養嗣子伊三郎の実妹)。
正直なところ筆者は長州にはあまり興味がなく今回の主人公、平田東助に肩入れしがたいが、平田がかかわった獨協学園のこと知らなかったので併せて見てみる。
平田東助
1849嘉永2年3月3日 父は米沢藩士で藩主の典医をしていた伊藤昇迪の次男。平田家を継ぐ。号を西崖・九皐山人。
12歳で藩校興譲館に学び、江戸に出て古賀謹堂(謹一郎)に入門し、維新後は大学南校(東大)に入学、卒業。
1871明治4年、大学小舎長に任官。特命全権大使岩倉具視の欧米巡幸に随行し、ドイツに留学して西洋法制史・政治思想史など学んだ。
1876明治9年、ドイツから帰国。3月、ドイツ長期留学者、品川彌二郎・青木周蔵・桂太郎・平田東助らは北白川宮能久を会頭として独逸(ドイツ)学会を発足する。
太政官に入り、法制局参事官、枢密院書記官長、法制局長などを歴任し、法政の整備にあたった。
1878明治11年8月、大蔵省権少書記官
写真:平田東助から桂太郎宛書簡(独逸同学会開催の件)「研究年報」(獨協学園史料センター第5.6号より 1881明治14年、ドイツ学教会設立。品川彌二郎委員長・桂太郎・青木周蔵(協会第2代委員長)・加藤弘之・山脇玄・西周・平田東助(第3代委員長)らが主導。蘭医や山県有朋系の文武藩閥官僚(県知事・大小書記官層)が会員となる。
1883明治16年10月、ドイツ学協会学校東京府より認可。宮内省より補助金。
1886明治19年11月、文部省より多額の補助金。
1887明治20年、桂太郎第2代校長に就任。司法省より補助金。
1889明治22年2月、大日本帝国憲法発布。
1890明治23年、貴族院議員となり30余年在任。幸倶楽部をひきいて清浦奎吾らとともに山県有朋をたすけた。
1891明治24年、品川彌二郎・平田東助ら信用組合法案提出、議会解散により廃案。
1898明治34年6月、第一次桂内閣発足、農商務大臣に就任。
この桂内閣は、政権が維新の元勲から藩閥官僚にと世代交代したことを示す。 明治も三十年代半ばになり次第に世の中が変化してき、国の為だといってもあまりに強引なやり方ではやっていけなくなっていた。桂太郎首相は巧みに「党派を操縦」し4年余り内閣を継続した。党派の操縦、それが桂園時代のはじまりの政権たらい回しである。
山県有朋の後継者で藩閥の桂太郎と、伊藤博文の次の政友会総裁西園寺公望が、大正二年まで政権を交互に担当したのである。政権維持のため表面妥協、裏面対立であった。桂は政権維持のため政友会を無視できず、また政友会も妥協により政権を獲得して党勢を拡大した。原敬は政府援助を材料に桂と取引をし、次期政権を西園寺に譲ることを約束させ、組閣の手伝いをしたのである。この桂内閣で組閣の手伝いをした原に次いで東北から大臣になったのが、平田東助である。
ちなみに第一次桂内閣が成立した同じ6月、政友会院内総務として力をふるっていた星亨が剣客伊庭想太郎に東京市役所で刺殺され、自由民権思想家として大きな足跡を残した中江兆民も病没。
1908明治41年、第二次桂内閣発足、内務大臣就任。
このころ、巌谷小波・大町桂月らドイツ学園創立期の同窓生活躍。
1917大正6年、臨時外交調査会委員、臨時教育会議総裁。
1922大正11年、内大臣。
1925大正14年、死去。
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