明治・大正・昭和の戦争
今朝、いつもより少し楽だなと温度計を見やると「30℃」例年なら、うわ~!!だが、猛暑の今夏はちょっと一息。終戦の夏はどのくらい暑かったんだろう。その終戦から70年後の今年、2015年8月は何か不安な空気が漂う。戦前のようだと言う人さえいる。近い歴史をふり返れば、日本は戦争を繰り返していたから、不安を杞憂だと笑えない。近代日本は10年未満間隔で戦争をし、戦争準備や戦後の後遺症を考えると戦争が身近だったと察しられる。それを思うと、平和な時代が70年も続いたことはほんとうに素晴らしい。どうかこの先も続いてほしい。
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戊辰戦争
1868~1869慶応4年~明治2年
維新政府と旧幕府軍の戦争。鳥羽伏見の戦いに始まり、新政府軍の東征、江戸城無血開城、奥羽越列藩同盟の長岡・会津戦争をへて箱館の五稜郭で旧幕府海軍が壊滅し終結。
西南戦争
1877明治10年
鹿児島を中心にした最大の士族反乱。征韓論荘に敗れた西郷隆盛は鹿児島に帰郷、私学校で子弟養成に努めていたが、西郷暗殺計画が発覚したとして、2月、推されて挙兵。熊本鎮台を攻撃したが、*徴兵軍隊に鎮圧され、西郷も城山で自刃。
*徴兵:1873明治6年徴兵令公布、満20歳男子から抽選し3年間の軍務であったが、1879~1889明治12・16・22年に改正、国民皆兵を実現。徴兵制は、徴兵令から太平洋戦争敗戦による武装解除に至るまでの国民の義務兵役制度。
日清戦争
1894~1895明治27年~28年 朝鮮をめぐって日本と清国が起こした戦争。朝鮮の宗主権を主張する清国(中国)と朝鮮進出を図る日本が、東学党の乱をきっかけに対立。明治27年7月、開戦。日本が優勢のまま翌年4月、下関条約を締結。清国は日本に対し遼東半島・台湾を割譲、賠償金を支払い、朝鮮の独立などを認めた。しかし、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により、遼東半島は清国に還された。
北清事変(団匪事件)
1900明治33年 清国(中国)義和団の反乱事件に対し8カ国連合軍による鎮圧戦争。日本公使館書記生が殺害された。北京包囲戦に日本は連合軍中、最大の軍隊を派遣。翌年、議定書成立。以後、軍事占領をめぐり日本とロシアが対立。
日露戦争
1904~1905明治37年~38年 ロシアが北清事変以後、中国満州の独占支配と韓国進出を図り日本と利害対立。明治37年2月開戦。日本は日本海海戦に勝利し海軍力で優位にたったが、陸戦では苦戦。奉天会戦(日露戦争最後の大規模な陸戦)で日本軍は、南満の要地奉天(瀋陽)を総攻撃して勝利し占領したが、敗走するロシア軍主力を追えなかった。翌年、アメリカの斡旋で講話が成立、ポーツマス条約を結ぶ。小村寿太郎全権は賠償を放棄し、ロシアの中国での租借地、鉄道の譲渡や南樺太の割譲などを認めた。
第一次世界大戦
1914大正3年8月23日 日本はドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参加。列強の植民地拡大をめぐる世界戦争は、イギリス・フランス中心の連合国とドイツ中心の同盟国とが総力戦を展開。日本も日英同盟を理由に参戦、中国での利権拡大を図った。戦いはドイツ側の敗北により終結。
シベリア出兵宣言
1918大正7年8月2日 ロシア革命干渉を図り、日・米・英・仏がシベリアのチェコ軍救出を名目に出兵。他国が撤兵したあとも、日本のみ継続。戦費10億と7万3千の兵力を投入、内外の非難を浴びて1922大正11年撤兵した。
第一次山東出兵
1927昭和2年5月28日 北伐(中国国民政府の北方軍閥に対する討伐戦)に際し、田中義一内閣が行った中国山東地方への出兵。在留日本人保護を理由とし約2千名を派遣。その後増派し計3回出兵。
柳条溝事件
1931昭和6年9月18日。 奉天北部の柳条湖で関東軍が満鉄線路を爆破。この関東軍の謀略による爆破事件をきっかけとして日中紛争、満州事変に発展する。
盧溝橋事件
1937昭和12年7月7日 北京郊外盧溝橋付近で、夜間に演習中の日本の駐屯軍と中国軍が衝突。日中戦争の発端となった。
ノモンハン事件
1939昭和14年5月11日 満蒙国境紛争をめぐりノモンハンで日ソ両軍が衝突。日本軍はソ連軍機械化部隊に死傷者1万7千余を出す壊滅的打撃を受け大敗。
日米開戦
1941昭和16年12月8日 現地時間7日午前7時55分、日本海軍の機動部隊がハワイ・オアフ島の真珠湾(パールハーバー)停泊中のアメリカ太平洋艦隊に先制奇襲攻撃。日米開戦の幕開けとなり、日本はドイツのポーランド進撃に対する英仏の対独宣戦にはじまる第二次世界大戦に参戦。
終戦詔書
1945昭和20年8月15日 日本が連合国に対し、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏したことを、天皇自ら放送により日本国民に報じた。ソビエト参戦と原子爆弾投下により日本の敗北は決定的となった。降伏に不服な青年将校は14日クーデターを起こして詔書録音盤を探したが発見できず、無事放送が行われた。
日本国憲法施行 1947昭和22年5月3日
――― 「憲法を守ろう」「憲法を変えよう」とややこしいのは、この憲法の生誕事情にある。平和と民主主義と人権の貴重さを深刻なまでに知った第二次政界大戦直後の国際世論を背景に、アメリカは、しぶる日本政府をおどしてまでこの憲法を「押しつけ」た。ただし「押しつけ」たのは世界史と国際世論の流れ、「押しつけられた」のは明治憲法と「国体」を死守しようとした勢力。国民にとっていささか不幸だったのは、この憲法もどこからかやってきて、「さあ、守りましょう!」ではじまったことだろう。
その不幸をかかえながら、しかし、手にした憲法は最良の英知をふんだんに含んでいたため、急速に国民生活に浸透していった。表現は自由だし検閲はないし、教育はのびのび、女も男と平等、なによりもう戦争はしないし武器も持たない。こいつぁはいい。
ところが憲法が定着しかかった矢先に、またアメリカの押しつけ。今度は軍隊を作れ、それに反対するやつは発言させるな・・・・・・改憲の計画がはじまる(『主権者はきみだ』森英樹1997岩波ジュニア新書より)
1951昭和26年9月8日 サンフランシスコ講和会議、対日平和条約、日米安全保障条約調印。
参考: 『近現代史用語辞典』安岡昭男編1992新人物往来社 / 『日本史小事典』1990山川出版社
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