政教社同人、菊池熊太郎 (岩手県釜石市)
東日本大震災、原発事故があって被災地に目がいくようになって、その地の幕末明治をふり返るようになり、いろいろ学ばせてもらっている。歴史の視点をどこに置くかなど考えさせられることが多い。そして、何かの資料をみていて人物・事件などの地が福島・宮城・岩手だと気になる。先日も『明治時代史大辞典』の政教社の項に、岩手県釜石出身の菊池熊太郎があり、さっそく見てみた。
菊池熊太郎
――― 明治時代の釜石を代表すべき人物は業界における小軽米浩、学会における菊池熊太郎、教育会における八重樫寿太郎であろう。
菊池熊太郎は1864元治元年10月釜石に生まれ。父を双六、母を千賀という。妻柴氏は乃木希典大将夫人の令姪に当る。(『横山久太郎翁伝』)
1880明治13年9月札幌農学校入学。
1884明治17年7月卒業、農学士。翌年、文部省の教員検定免許証を得る。
千葉中学校: 明治17年~19年2月
福島中学校: 19年2月~20年3月
私立東京英語学校: 20年9月~22年2月。このほか、私立東京法学院(のち中央大学)などで教鞭をとる。
1888明治21年のはじめころ三宅雪嶺・杉浦重剛・井上円了ら10名によって「政教社」創立。
政教社は国粋主義を唱えた思想的結社で、その4月機関誌『日本人』を刊行。
『日本人』はしばしば発行停止にあったが、のち三宅雪嶺が中心で内藤湖南・長沢別天が編集に加わり、1907明治40年『日本及日本人』と改題する。
『日本人』創刊の辞に名を連ねたのは、加賀秀一(岐阜・士族)、 今外三郎(弘前・士族)、 島地黙雷(山口・西本願寺執行)、 松下丈吉(久留米・士族)、 辰巳小次郎(尾張・士族)、 三宅雄二郎(雪嶺、加賀・士族)、菊池熊太郎(東魏、岩手・平民)、 杉江輔人(広島・士族)、 井上円了(越後・慈光寺)、 棚橋一郎(岐阜・士族)、 志賀重昂(岡崎・士族)の11名である。これに加えて、杉浦重剛(近江・士族)、 宮崎道正(越前・士族)の13名が同人である。
ほとんどが、非藩閥の藩士・儒者・僧侶の士族層の家系で、最新最高の官学で文化系と理科系の洋学を学び、政教社創立前後に、官から離脱した者や批判に転じた者、教育への従事者、政教社以外の言論誌でも活躍し、非キリスト教徒であることが共通している。
政教社同人は、近代の官立教育機関(東京大学、札幌農学校など)で洋学を身につけて、在来の思想や価値観と葛藤しながら、西洋の価値観をのみ込んだうえで、非西欧型の日本の近代化を模索して国粋主義を主張した。
こうしたなかで、菊池熊太郎を理学宗を提唱し明治思想史上逸すべからざる人物と評する向きもある。次の編著書が近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/ にある。
刊年不明: 『西洋歴史・講述』 『中等地理教科書・上下』 『中等教育の過程に経済の一科を加ふべし』
1885明治18~1889明治22年: 『科学理論一班』編著 『男女心理之区別』 『道徳新論』 『地理教授新論』エー・ケイキー著・訳
1890明治23~1895明治28年: 『学海・第一号』(国民教育) 『新体理科示教』 『理学』編述 『新撰普通部地理学』 『中等地理教科書』 『普通万国歴史』
『新撰小地文学』(地文学トハ地球ノ表面ニ興発スル自然ノ現象ニツキテ究明スルモノニシテ自然地理ト呼バル)
写真の 『物理教科書』1897・1899金港堂版は広く用いられた。
1894明治27年、実業界に入り*勧業銀行監査役となる。
*勧業銀行: 日本勧業銀行。1896明治29年の日本勧業銀行法によって設立された特殊銀行(初代総裁・河島醇)。農・工業に長期資金を供給することを目的とした。のち第一勧業銀行(現みずほ銀行)。
岩手県盛岡市本町の勧業銀行盛岡支店は、安田銀行盛岡支店と共に東京大銀行支店の双璧であった。
その後、大同生命保険会社(明治35年7月創立)取締役・東京支店長を務める。
1908明治41年9月17日脳溢血にて急逝。
45歳。東京青山墓地に葬られる。
参考: 『横山久太郎翁伝』1943釜石製鉄所産業報国真道会編/ 『明治時代史大辞典』吉川弘文館/ 『日本史辞典』角川書店
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