『横浜新誌』『伊賀国名勝図』編著、川井景一(岩手県)
近ごろ外国からの観光客が増えて、有名観光地より日本人でも詳しくない地方や施設を見学するらしい。ネット社会だから来日前にいろいろ目星を付けやすそう。そうしたなかで忍者も人気らしい。忍者と言えば伊賀、たまたま『伊賀史の研究三十年』という本をみつけて目次をみたら、『横浜新誌』の著者についてが出ていた。伊賀と横浜、どんな関係がと思ったら『横浜新誌』著者が伊賀の地誌を出版していたのだ。その本が『伊州故事考』『伊賀国名勝図』で著者は、東京府平民・川井景一。
ところで川井景一は、他の著作には岩手県平民とあり、明治後半は東京府士族としている。岩手県から上京して仕事や著作をしていたようだ。難しい文章を書き漢詩もできるのに経歴が判らない。岩手県のどこで生まれて誰に学問を教わったのか、なぜ地誌に興味を抱いたのかも分からない。著作からしか手がかりがないが気になって、分かる範囲で取り上げてみた。
川井景一
岩手県平民とあるので岩手県出身と考えられるが、岩手の何処でいつ生まれたか分からない。号は、杜陵迂人。晩年は浅草観音境内で、当時流行の「早取り写真師」として生活していたという。動物写真帖を出版している。
1876明治9年5月、『関東八州地誌略・相模の部』 岩手県平民・川井景一編
同6月、『続・神奈川県地誌略』川井景一著。*版権免許、神奈川県平民池田真七・高梨栄蔵。
同8月、『神奈川県地誌略』編輯・製本所(神奈川県御用金港堂・原亮策)
*版権免許: 明治政府は官許のない出版を禁じ1869明治二年、出版条例を制定、事前許可・納本義務・版権保護・出版禁止事項などを定めた。出版の届け出先は太政官から文部省へ、次いで内務省に移ると自由民権運動を警戒し罰則が厳格化する。
1877明治10年 『小学作文捷径』上下巻、著 同3月、『横浜新誌』初編を刊行。当時評判の服部誠一の『東京繁昌記』の例にならった文明開化の横浜の風物誌である。開港後の横浜風俗の一端を写していて興味深い冊子というが、作者については当時もあまり知られていない。題字は、幕末・明治期の漢詩人、大沼沈山が寄せている。著作に著名人の名があるのは、この『横浜新誌』のみで、著者川井景一については判らないが、諸処方々へ赴き見物記でない詳しい地誌を記した人物として興味深い。なお、『明治文化全集・風続編』(日本評論社)に採録されてい、挿絵と文章で開港地横浜の賑わいが偲ばれる。写真は同所挿絵より。書肆(しょし書店)の店先。
同5月、『浅草新誌』初編。岩手県平民、東京の住所・東京第五区十一小区馬道街七丁目十番地。売れなかったのか続編見当たらず。
同6月、『成田繁昌記』成田山新勝寺などいろいろ文章と絵で紹介している。数頁にわたる付録〔明治五年七月東京深川ニ於テ開帳奉納金講名表〕が興味深い
―――金五百円フカガワ内陣御畳講中・網屋平八・・・・・・から始まり、お終いは金二円五十銭・ホンジョ柳原四丁目講中。
同8月『安房地誌略』 『上総地誌略』川井景一編
1879明治12年6月 『房総地誌提要:小学諳記』岡本運広編・川井景一閲正 三省社発行。38頁足らずの和本で地図付、文字も読みやすい。小学校のテキストらしい。ちなみに奥付によれば、編者の岡本運広は群馬県士族。
1887明治20年8月 内務省地誌課に奉職、地誌取調となり用務を帯びて三重県に出張。伊賀上野・津、両地に数年滞在したらしい。当時40歳くらいらしい。40歳とすれば幕末の弘化・嘉永はじめ生まれになる。
伊賀の村名は解らないが戸長役場で川井に面会した小学校教員がいたと「伊賀史の研究三十年」(伊賀史談会1937)著者・佐々木弥四郎が書いているが、詳しい事は分からない。
1888明治21年7月、公務の余暇に、『三国地誌』伊賀の部、また伊賀風土記・伊賀史・准后伊賀記・伊賀政事録録・伊賀名勝記・十楽庵記の6書を集め、増訂『伊山故事考』を出版。年末に伊賀を去って津に赴き一年くらいいたらしい。 なお、『伊山故事考』の収めた6書は徳川時代の偽作のようだが、当時は正真正銘の地誌材料と信じられていたという。
川井は、伊賀を去るおり『伊賀国名勝図』を発行。名所旧跡の実景を図に写し、付録に伊賀滞在中に親しくなった学者文人から贈られた詩歌を掲載。
1891明治24年2月『大和国町村誌集』全8巻 川井景一選編述。奈良県知事小牧昌業・題字。東京府平民・奈良県添上郡奈良町大字西城戸10番地寄留。
同11月 『奈良県名勝志』川井景一(同奈良県)版権所有・川井希世。
1895明治28年7月、『和州社寺大観』編輯兼発行。奈良町大字高畑二四二番地
1897明治30年4月、『動物写真帖』川井竹・編輯発行、発行所・川井景一(東京市浅草区北清島町108番地)
1898明治31年9月 『西洋美術資料』第一編~第六編
1906明治39年(明治29・30.31・35・39年)、『国宝帖:美術写真』東京府士族・川井景一編集発行
1912明治45年7月 『十二月帖』田中蓬煙筆・川井景一著作発行
1913大正2年 『十六羅漢』東京府士族 著作兼発行者 川井景一(東京下谷区入谷町90番地) 印刷人・川井徳蔵 (同町同番地)
この年の年齢を推測すると66歳くらいになる。
川井景一の地誌は記された地域に残り、国会図書館デジタルライブラリーでも読めるのに、本人の生年月日や出生地などの記録が見つからない。事蹟があるのに分からないことばかりで、<歴史上の出来事も記録がなければ無かった事になる>と聞いたのを思い出した。
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