明治の弁護士・特許弁理士、岩崎惣十郎&高橋順平(宮城県)
【宮城県気仙沼市に、裁判官として赴任経験のある弁護士が今春、
骨をうずめる覚悟で移住してきた。仙台弁護士会の原田卓(たかし)さん。
「新人の気持ちで、街を歩き、問題を掘り起こしていきたい」と意欲を燃やす】
〔希望新聞〕(毎日新聞2015.10.16)に“死ぬまで「気仙沼の弁護士」”という東京出身の弁護士さんの記事に心打れた。東日本大震災に加えて原発事故があった大熊町のように遠く離れた地(会津若松)に避難しないでも故郷に住めるが、大震災から4年半もたつのに復興未だし。そして冬を迎える。でも気概のある弁護士さんが移り住んだ気仙沼はいくらか寒さが和らぎそう。
今から百年ほど前の『気仙沼案内』を開くと、気仙沼が早くから栄えていた様子がしのばれる。その案内に郷土の大文学者・歌人の落合直文の歌がのっている。
遺つ祖のいさを思へは剣大刀 刃のかけたるもうれしかりけり
此の秋のみのり如何にと夜も尚 夢に門田の畦めくるらむ
そして、気仙沼の弁護士事務所も掲載されている。
(三日町) 石森弁護士事務所 石森多利之丞
(八日町) 佐々木弁護士出張事務所 仙台・佐々木幸助
ただ、名前が判ったが他の資料が見つからず、仙台の弁護士を探すことにした。明治生まれの宮城県出身弁護士といえば布施辰治が有名だが、 今回は岩崎惣十郎と高橋順平にした。二人は筆者がイメージする弁護士像と少し異なるが、その経歴から明治の殖産興業の世が察せられるようで取り上げてみた。
岩崎惣十郎
衆議院議員・弁護士
1860万延元年2月5日、青葉城頭の広瀬川の畔、岩崎家に生まれる。
1877明治10年、祖父・岩崎清が隠居し家督を継ぐ。藩校・麟経堂に入り、また藩儒・岡鹿門について漢学を修め、21歳で上京。
1881明治14年、専修学校を卒業して明治法律学校(のち明治大学)入学、経済・法律を学ぶ。
1882明治15年、判検事試験に及第、判事補に任ぜられ大阪裁判所に赴任。まもなく辞任し弁護士となる(この間、年次不詳)。
1899明治32年、奥村靖一と共に発起人となり明治大学校友会・宮城県支部を設立。
1908明治41年、<日本弁護士名簿>によれば仙台市地方裁判所所属弁護士43人。
岩崎惣十郎・仙台市片平町60番地・電話446。
1912明治45年、総選挙に仙台市から立候補、当選。
1917大正6年、再び仙台市から立候補、当選。
肩書き:衆議院議員・塩水港精糖株式会社・七十七銀行・仙台瓦斯株式会社・大崎水電株式会社の監査役。弁護士。
――― 君は東北弁護士会、また東北政界の一雄将なり。いわんや攻法の余暇をぬすみ、今や実業に腐心して現に諸会社に関係し進んで東北振興を以て当面の急事なりと警醒しつつあるをや。君の如きは孰れの方面よりするも六県七州の代表的人物として推重せざるべからず(『大正人名辞典』1918東洋新報社)。
高橋順平
弁護士・特許弁理士
1872明治5年5月29日、宮城県遠田郡田尻町の高橋弥蔵の次男に生まれる。
1893明治26年、上京して大日本水産会社の水産講習所に入り、29年卒業。
1896明治29年、日本法律学校に入学し法律経済学を学ぶ。
1899明治32年6月、弁護士試験に合格、弁護士事務所を開設。水産上の事件に関係し名を得る。
この年、特許・意匠または商標に関する特許代理業者が公認された(登録138名の殆どが弁護士、工学士など技術者は少数)。
1903明治36年8月6日、特許弁理士登録: 東京市神田区錦町1丁目1番地
1906明治39年、金華山漁業株式会社を設立。
――― 金華山沖は本邦において著名の鯨族群来の処なるにより、近年捕鯨会社の創立多く、事務所を宮城県塩竈町に置けり。図は所有のアメリカ式捕鯨船金華山丸にして346屯余、明治40年5月進水、本年6月より捕鯨に従事し成績良好なり
(『東宮行啓記念宮城県写真帖』1908宮城県)。
1908明治41年5月、帆船海上保険株式会社を創立。また、海獣(ラッコ・オットセイ)の捕獲事業に着手。
1909明治42年、特許代理業者は特許弁理士と改称される。のち「弁理士」に改称。
1925大正14年、<日本弁護士名簿> 高橋順平(宮城)京橋区北槙町14 電話・銀座4743
――― 金華山漁業株式会社を設立し推されて之が取締役と為り、経営宜しきを得て今日の隆盛を見るに至れり・・・・・・吾人は由来消極的なる法曹界より君の如き積極的事業家の出でたるを快として措かざるなり(『大正人名辞典』1918東洋新報社)。
余談:
引用資料の漢字が読めず(該当する漢字が見当たらず)“ラッコ”“オットセイ”と判るまで苦労?した。それにしてもあの愛らしいラッコや大きなオットセイを捕獲してたとは・・・・・・。
『気仙沼案内』(小山源蔵編1911富田本店)に掲載の落合直文の歌は、「案内」発行元の富田家幅からとある。それから11年後、内容一新『新気仙沼案内』が写真入りで上武川商店から発行されている。何がどうと言うのではないが、どちらも商店から発行されているのが面白い。大震災の被害から復興に励む市民の方だと昔懐かしいものに出会うかも。二冊とも国会図書館デジタルコレクションにて検索、読めます。
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