明治前期の英和辞書、三木佐助、イーストレイク
――― 明治の始めころは、英和辞書などと申す物は至って品が稀でござりましたのでその値もなかなか高かったのでござります。その頃私は、陸軍兵学寮の川勝丹波守と申された人のところへ出入りをいたしまして「英和語林集成」といふ辞書をたびたび払ひ下げをしてもらいました。その辞書一冊を45円ないし50円位で売ったことがしばしばござります・・・・・・ 今一つは「和訳英辞林」と申す字書で、これは大阪今宮蛭子神社の南に薩摩の銭鋳場(ぜにいば)といふものがござりまして、そこに居られました五代といふ人から折々払ひ下げて貰いました。一冊たいがい25円位で買いまして30円位に売り捌きました。のち翻刻ができまして終いには1円以内まで下がりました。俗に「薩摩版の辞書」と称えたものでござります(『玉淵叢話』1902三木佐助)。
明治初期の英語辞書の資料を探してたら、NHK朝ドラで今や大人気、五代様が出てきた。五代友厚が薩摩辞書を何冊も払い下げたのは、薩長藩閥政府の中心にいる薩摩人たちが新しいのを幾らでも買え不要になったからだろうか?
この「玉淵叢話」口述の三木佐助は、京都山城国相楽郡和束郷白栖村の出身で1852嘉永5年生まれ。大阪の商人で古書・新刊の販売と漢文書籍・英語辞書・教科書出版などをし、出版事業に貢献した。
その三木が自身の生い立ちや家族、商売の困難苦労と成功、出版事業についてなど気負いなく語っているのが『玉淵叢話』。
明治の出版事情、同業組合、教科書出版のため文部省との交渉等など話題豊富で、読書好き明治好きには面白い。『明治出版史話』と題し、ゆまに書房から復刻されている。三木の肖像あり。
『新撰英語教科書』の著者イーストレイクが、 『玉淵叢話』に英語で序文(意訳あり)を寄せている。三木と出会って、『英語会話教科書』を刊行した当時、三木は一小書肆(書店)に過ぎなかったがその後、7年の間に「資産を作り大出版業者になり驚嘆の外あらず」と成功に感心している。
『和英語林集成』
1867慶応3年、横浜のヘボンがヘボン式ローマ字見出しで編集、岸田吟香の助力を得て刊行。来日外国人が特に必要とした(『明治時代史大辞典』2012吉川弘文館)。
「薩摩辞書」(『和訳英辞書』)
幕末、安政5カ国条約以降、それまでのオランダ語から英学が中心となり洋書調所で、日本で最初の英和辞書『英和対訳袖珍辞書』が堀達之助が中心となって1862文久2年編纂出版された。その後、再版本が刊行され、それにカタカタによる発音表記、訳語の漢字によみがなをほどこした第三版『和訳英辞書』が1869明治2年に出された。これが薩摩学生編となっているため「薩摩辞書」と俗称され明治中頃まで広く用いられた。
『英和字彙』
薩摩辞書と並び明治前半期の二大英和辞書となったのが『*英和字彙』である。明治期における英和辞書の編纂に評価がたかったのはウェブスターNoah Websterで彼と関係の深い辞書を参照して編纂されたのが1873明治6年、刊行『(附音挿図)英和字彙』である。子安俊・柴田昌吉による5万5千語を収録、科学技術に関する用語や挿絵を収録した画期的な辞書である。「薩摩辞書」とともに広範囲に利用された。
フランク・イーストレイク Frank Warrington Eastlake
1858安政5年1月22日~1905明治38年2月18日
号は東湖、イーストレイクを直訳したもの。日本英学会の恩人の一人といわれる英語教育者、日本研究者。父親のウイリアムは歯科医で1860万延元年一家をあげて来日、横浜で開業。
フランクはアメリカ・ニュージャージー州生まれ、父に連れられ一家で来日。その後、アメリカ・ドイツ・フランスで教育を受け、さらにベルリン大学で学び、23歳で博言学(言語学、音韻・文字・文法・語彙その他歴史的・地域的の諸相を明らかにし理論づける学問)博士を取得。語学の天才と称された言語学者。
1884明治17年、再来日し、以後20年余にわたり英語教育などに寄与した。磯辺弥一郎と国民英学会、増田藤之助と日本英学院を創設するなどした。
1888明治21年、棚橋一郎と共訳 『(ウエブスター氏新刊大辞書)和訳字彙』(三省堂)を出版、同年ウエブスター辞書に準拠した本格的辞書 『(附音挿図)和訳英字彙』(島田豊・大倉書店)も出版され覇を競い合った。両者ともウエブスター大辞典を利用しているので百科事典的内容で似ていて、戦いは明治末まで続いた。
1896明治29年、英語学者*斉藤秀三郎の正則英語学校創設に参加し、長く教鞭をとった。 また、慶應義塾などにも出講し、数多くの明治期学生に英語を教授した。
著書は『英和袖珍字彙』ほか多くあり、講義録を加えると著作は100冊をこえる。
フランクの父は1887明治20年、52歳で没し青山霊園外人墓地に葬られ、フランクも病没して父の傍らに葬られた 。なお、フランクの長男パスカルは慶應義塾予科などで英語を教えた。
参考: 『明治時代史大辞典』2012吉川弘文館
<明治・大正期の英語学者、斉藤秀三郎(宮城県)>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/05/post-cd69.html
<明治のジャーナリスト・事業家、岸田吟香>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2013/03/post-5df9.html
<日就社・読売新聞創業のジャーナリスト、子安峻(岐阜県)>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2013/04/post-38bb.html
<山東直砥(一郎)の英語辞書>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/04/post-fca1.html
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