« 火の国の女、高群逸枝 (熊本県) | トップページ | わらじ村長38年間無給、鎌田三之助(宮城県) »

2016年5月28日 (土)

大正・昭和期の労働家、丹野セツ(福島県)

 熊本地震から日がたつが、避難所で暮らさなければならない人がたくさんいる。同じ町内とはいえ、いきなり多勢の人と一つ所に寝泊まりする。考えるだけでも心身とも大変なことだが避難所がないと困る。それぞれの地域に作られ被災者の助けとなっている。
 毎日新聞2016.5.27記事によると、益城町立広安西小学校の体育館は百点満点の避難所だという。なんと、会社員の娘さんが運営を仕切ってい、行き届いた避難所になっているというのだ。温かい心遣いができ、しかも実行力のある娘さんが育った益城町、きっといい所。
 熊本県には、火の国の女高群逸枝のような激しい情熱の持主もいれば、心やさしく避難所の運営をきっちりやれる女子もいる。そこで、福島県生まれで元気な女子を探し、大正・昭和の労働家、丹野セツにしたが、生き様の激しさに息を呑むばかり。人の為に尽くすエネルギー、どこから湧いてきたのだろう。

     丹野 セツ

 1902明治35年11月3日、福島県生まれ。日立鉱山の坑夫長屋で少女期をおくる。
 ?年、高等小学校卒業後、日立本山病院(現・日鉱記念病院)に見習看護婦として勤務。
 1919大正8年、日立友愛会の発会式に参加して労働運動に入った。
 1921大正10年、以来、3回家出をして上京。
   労働者の町といわれた東京の亀戸に住み、紡績女工などをして働き、暁民会・赤瀾会に加入。
 1922大正11年、渡辺、南葛労働協会(のち南葛労働会)を組織。

 1923大正12年9月1日、関東大震災おこる。死者・行方不明者約15万人。
   大震災は不況下の経済に打撃。混乱の中、朝鮮人暴動の流言で軍隊・警察・自警団による社会主義者・朝鮮人の逮捕・虐殺事件が発生。 *亀戸事件で危うく死を免れ、東洋モスリン工女となる。南葛労働会は弾圧されると、東京合同労働組合を組織、丹野セツも夫と共に活動。
    *亀戸事件: 捕らえられた社会主義者が暴行、殺されたりしたのが明るみに出て、自由法曹団が調査を依頼された。 “生くべくんば民衆と共に、布施辰治” https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2014/02/post-0920.html

 

 1924大正13年、*渡辺政之輔と結婚。セツは、日清紡亀戸工場の女工となり、夫とともに日本労働組合評議会に加盟して労働者の解放をめざした。
    *渡辺政之輔: 1899明治32年千葉県に生まれる。父を早く喪い、小学校卒業と同時に、東京の亀戸で労働者となった。ロシア革命および民主主義運動に強い影響を受け、労働運動の先頭に立つようになった。
 1926大正15年、セツは日本共産党の再建の際に入党、評議会の大会で婦人部の設置を主張し、女子労働者の組織化を訴えた。
 1928昭和3年8月、非合法活動をしたため検挙される。
      夫の政之輔28歳の若さで共産党の委員長に選ばれる。同年、中国に渡っての帰り10月6日、台湾の基隆で警官隊に襲われ自殺。この日、妻のセツは捕らわれの身であった。
 1932昭和7年、懲役7年の判決を受ける。
 1938昭和13年、宮城刑務所を出獄。中国への脱出を試みたが失敗。派出看護婦や工場保健婦をして生活をする。
 1945昭和20年敗戦後も社会運動にたずさわる。
 1955昭和30年、共産党を除名される。
    次のコメントがありました。「丹野セツ氏の日共除名は1980年(昭和55年)です」

 1956昭和31年、東京都葛飾区に四ツ木診療所を開設。かつての活動の地、南葛飾で労働者の医療活動につくした。のち、四ツ木病院理事。


 Photo ひと雨降れば胸まで水没した「ゼロメートル地帯」葛飾区渋江町(現在の東四つ木地域)。輸出雑貨、ビニール・ゴム加工、金属玩具等の中小零細工場の密集地で、住民はこれらの下請工や内職で生活を営む人の多い町でした。国民健康保険もまだなく高い医療費の支払に苦労した中、「治療代が安く、よい治療をしてくれる自分たちの診療所が欲しい」と運動が広がり、月100円、200円の積み立てや1,000円、2,000円の小口借入金を集めて、1956年(昭和31)9月10日に四ツ木診療所は開設されました。
  写真:
 創立当時の四ツ木診療所。バラックの平屋が当時をしのばせる。
  “医療法人財団 健和会、「四ツ木診療所」歴史 HP”より 

 1987昭和62年5月29日、死去。85歳。

 

   参考: https://ja.wikipedia.org/wiki/ ウイキペデア-丹野セツ / 『コンサイス学習人名事典』三省堂 / 『近現代史用語事典』安岡昭男編・新人物往来社

|

« 火の国の女、高群逸枝 (熊本県) | トップページ | わらじ村長38年間無給、鎌田三之助(宮城県) »

コメント

丹野セツ氏の日共除名は1980年(昭和55年)です。

投稿: KM生 | 2022年6月 4日 (土) 23時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大正・昭和期の労働家、丹野セツ(福島県):

« 火の国の女、高群逸枝 (熊本県) | トップページ | わらじ村長38年間無給、鎌田三之助(宮城県) »