仙山線、愛子駅(宮城県)
JR旅雑誌の「鉄道の記憶」が目をひいた。高~い鉄橋(第二広瀬川橋梁)をわたる列車の写真がのっていた。すごく高い鉄橋からの眺めやいかに。
――― 仙山線は仙台駅と山形駅を結ぶ路線だ。線名は両地点から一文字ずつ取って命名されたという。 仙台駅を出てしばらく市街地が続くが、実は仙台平野を囲む丘陵地帯。行路は驚くほど険しい。盆地を抜け、愛子駅を過ぎた辺りから田園も広がり、郊外へと進んできたことを実感させる。 (写真・文/松本典久)
えッ、愛子駅! 愛子って「あいこ」、愛しい子・愛児・女の子じゃないの? 記事をよく読むと、「あやし」のふりがな。愛子駅は「あやしえき」。これも何かのご縁、愛子駅がらみを調べてみよう。まずは、『コンサイス日本地名事典』を、
――― 仙台市青葉区。上愛子・下愛子からなる。旧宮城町の中心集落。交通、仙山線愛子駅または陸前白沢(りくぜんしらさわ)駅。:広瀬川南岸河岸段丘に位置し、水田を経営。近年、仙台市の都市化の影響を受け、中小工場・住宅が進出。
ところで、開いた地名事典は1996年刊で古く、それから20年、愛子地域はかなり変化してるだろう。
仙台は1920年代(大正9年~昭和初期)までには市民生活の都市化も進み、陸羽東線・石巻線・仙山線などの地方幹線が整備され、秋保(あきう)電鉄・宮城電鉄の私鉄沿線は宅地開発が進み、遊園地などの都市型レジャー施設が整備された。
1929昭和4年9月29日、愛子駅開業。仙台市青葉区愛子中央一丁目。なお、愛子駅の副名は「秋保温泉入口」。仙台方面からの列車は大部分がここで折返しとなる。
仙山東線の終点駅として開業した。関山街道の愛子宿の近くにできた駅で、当時の広瀬村の中心駅であり、合併して宮城村(のちに宮城町)ができるとその中心駅となった。西に路線が延長されるまでは、機関車の転車台を備えていた。
1937昭和12年11月02日:官報.鉄道省/仙山線作並山寺間鉄道運輸営業開始
停車場名、作並・奥新川(おくにっかわ)・山寺。
1945昭和20年7月10日未明、仙台空襲。
仙台の町は焼け野原、国宝の仙台城大手門や伊達政宗の廟所瑞鳳殿などが焼失。
――― 当時私達の家は仙台市堤通8番地の借家でした。県庁の北側200mほど行ったところだったと思います。そのころ父は片平丁の理学部数学教室の和算書庫を研究室として使い、自分の蔵書もそこに置いてありました。父は自宅の方が安全と考え(東北帝國大學理學部數學教室)と書かれた大きな麻袋に本を詰め自宅に持ってきておりました・・・・・・当時、国民みんなが住所氏名血液型を書いた名札を着衣の胸に縫い付けておくことになっていましたが、父は付けていない。仙山線で銃撃を受けたら「數學教室」と書いてある袋を背負っているので身許が分かるだろう、母が言っておりました。
未明の仙台空襲,私達兄妹は親にたたき起こされ綿の沢山入った防空頭巾をかぶせられ、防空壕へ急ぎました。そのとき既に家の北側の曇りガラスを見たら美しいピンクに染まっていました。おそらく裏の家は焼夷弾の直撃を受け燃えていたのでしょう。私達兄妹7歳5歳のときでした(『木這子:東北大学付属図書館報33』“平山文庫”)。
1950昭和25年6月28日。官報:7月1日から仙山線山寺楯山間に次の停車場を設置し、旅客・手荷物及び小荷物の取扱を開始する。但し、配達の取次はしない。
停車場名:高瀬・山形県東村山郡高瀬村大字東山
1971昭和46年4月1日、 貨物営業を廃止。
1978昭和53年10月2日、 急行「仙山」が停車する。
1984昭和59年2月1日 、仙台・ 愛子間の列車を増発。鉄道小荷物の取扱いを廃止。
1985昭和60年3月14日、駅業務は出改札のみとする。
1987昭和62年4月1日 、 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
愛子(あやし)駅の周りは、東西に長い市街地で、北は約600から800m先を流れる広瀬川まで住宅地である。1987昭和62年合併までは宮城町の中心駅であり、仙台市青葉区宮城総合支所はも旧宮城町役場である。
2001平成13年、皇太子徳仁親王夫妻の長女である敬宮愛子内親王の誕生によって全国的に有名な駅になった。入場券は1日1枚くらいだったのが、名前が発表された12月7日、行列ができ夕方までに1000枚以上売れた。JR東日本によると、11日まで5日間で約3,3200枚売れた。
2011平成23年3月11日、東日本大震災。
震災直後不通区間:JR仙山線、全線。
現在不通区間復旧状況:4月4日、仙台~愛子(4月7日余震で不通→4月23 日まで順次復旧)。
4月23日、愛子~山寺
愛子駅から徒歩7分の同支所の敷地内には図書館などが入る広瀬文化センター、市の複合施設(仙台市青葉区下愛子字観音堂5)がある。南は水田で、さらに南に錦が丘の住宅地があり、山林・丘陵地につながる。
駅前広場からは、県道・愛子停車場線が南に伸び、国道との交点で秋保温泉愛子線に通じる。
2002平成14年、 東北の駅百選に選定される。
2003平成15年6月、 自動改札機を設置。10月、Suicaの供用を開始。
2010平成22年2月、 バリアフリー化工事完成。
参考: wikipediaウィキペディア / 『宮城県の歴史散歩』2007宮城県高等学校社会科歴史部会 /大人の休日倶楽部「鉄道の記憶」鉄旅しよう(宮城県)
| 固定リンク
コメント