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2017年4月 8日 (土)

ローマ字日本式(訓令式)・ヘボン式・ 『和英語林集成』

 とある人物の伝記を執筆中、数年がかりでどうにか終章にこぎつけた所。主人公は幕末明治の激動を東奔西走よく働いたが、纏まった伝記がない。遺品や大量の史料が失われるという残念なことがあったにしても、無いとは・・・・・・ 歴史は「あったこと生きたことの記録がなければ、なかったことと同じ」。事績があるのに埋もれている人物、わが主人公以外にもいそう。そのわが主人公が出会った人物のなかにアメリカ人宣教師ヘボンがいる。
 ヘボンといえば「ヘボン式ローマ字」が思い出され懐かしい。周りも同じかと、ヘボン式ローマ字を持ち出したら、「知らない」「初めて聞いた」が居て意外な感じがした。そんな折しも、次の記事(2017.3.21毎日新聞)をみつけた。

        <ローマ字表記混乱 「ti」 「chi」 どっち?>

   2020年度から実施される学習指導要領改定案に基づき、小学校のローマ字教育が従来の国語だけでなく、新たに教科化される英語でも始まる・・・・・・ 学校では現在、ローマ字を原則的に訓令式で教えている。しかし、名前や地名など実際の表記は圧倒的にヘボン式が多く、国際的な身分証明書となるパスポートもヘボン式だ。使い分けに困惑する児童も・・・・・・ 「一本化を」
    ローマ字: ラテン語で表記された日本語。16世紀にはポルトガル語、18世紀にはオランダ式のローマ字がつくられたが普及せず・・・・・・ヘボンが考案した英語風のヘボン式が一般に知られる・・・・・・ 1954昭和29年の内閣告示で訓令式のつづりを正しいローマ字と定める一方、ヘボン式の使用も認めた。

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     『ローマ字独げいこ』 (*田中館愛橘ほか1929日本のローマ字社)
 
 「ヘボン式の綴り方」で、日本式とちがう点。日本式では字を19使いますが、ヘボン式では22使います。その多い分の3文字は、Cc Ff Jj

  独りげいこの内容: 漢字の欠点・国字問題・国字としての仮名・国字としてのローマ字・ローマ字を広める必要・漢字撲滅ではない・今日の実際問題としてのローマ字・早読み練習・読み方問題・ローマ字文のひながた(兎と亀、君が代、日記の雛形(筆記体))など。

    * “文化勲章と断層発見物理学者・ローマ字論者、田中館愛橘”              https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/11/post-f325.html

 

     ヘボン(ヘップバーン) Hepburn Jams Curtis  漢字名、平文

 1815文化12年3月13日、ペンシルバニア州ミルトンで生まれる。
 1835天保6年、プリンストン大学卒業。
 1836天保7年、22歳でペンシルバニア大学卒業、医学博士となる。
 1840文化12年から5年間、宣教師として東南アジアに赴き伝道。
 1846弘化3年から13年間、ニューヨークで医術開業

  1859安政6年、来日。
   “日本鎖国の門戸を開いたものは米国水師提督ペルリで、日本人の心の戸を開いた人は医学博士ヘボンである”―――日本通のアメリカ人グレソイスの言葉(『明治文化発祥記念誌』1924大日本文明協会)。
   神奈川の成仏寺内に仮住まいし日本語を研究するかたわら、宗興寺に施療院をつくる。のち、横浜居留地39番に住んでからも診療を続ける。 まもなく、夫人がヘボン塾を開く。のち明治学院となる。

 1867慶応3年、『和英語林集成』第一版、日本では活版印刷が出来なかったので。協力者の*岸田吟香を連れて上海に赴いて印刷、出版。ヘボン式ローマ字綴りを使用。
 1872明治5年、『和英語林集成』第二版を横浜で出版。第一版の綴りを訂正してある。
     * “明治のジャーナリスト・事業家、岸田吟香
       https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2013/03/post-5df9.html

 1885明治18年、ローマ字会式の綴りが定められた時、従来の綴りが少なからず改良されて、それが我が国を始として西洋諸国にも広まった。第三版には綴りがローマ字会式に改められた。『和英語林集成』が日本語および英語の研究者に与えた利益は多大である(『国語百談』日下部重太郎1915丁未出版社)。

 1887明治20年、明治学院創立。総理ヘボン。
 1892明治25年、帰国してイーストオレンジで静養。
 1905明治38年3月13日、90歳を迎え、明治天皇から勲三等に叙せられる。
 1911明治44年9月21日朝、イーストオレンジで死去。
      博士の訃音伝わるや我が国の新聞雑誌は競って逸事伝記をかかげて偉業と高徳を賞賛して追悼せざるものはなかった (『ゼー・シー・ヘボン博士:新日本の開拓者』山本秀煌1926聚芳閣)。  

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