明治時代初期の宗教家、神学者、山崎為徳(岩手県水沢)
東日本大震災から丸6年。未だに胸が痛くなる被災地のニュースが少なくない。いっぽう、被災者のがんばりに教えられること、視点を変えることで気付かされたことがある。ふるさとの大切さを教えられた気がする。自分は東京生まれだが近県の小学校に転校、いらい何度か引越し。結婚して今の所に40年住むが、ふるさが感ない。かといって、なにかと都内に行くが生まれた家はなし、ふるさと感はない。人間至るところ青山ありで不足はないが、被災地で復興に励む人々のがんばりに、「ふるさと」って良いものなんだと思う。ふるさとを持っているっていい。やむを得ず故郷を後にしたとしても、ふるさとを思えば辛さや困難をのりきれるのだ。現にネットでは「東北でよかった」と東北愛の投稿が続々となされているようす。
ところで、東北は歴史的にも戊辰戦争で賊軍とされるなど苦労してきた。でも、挫けることなく、よく学んで活躍した先人は少なくない。その一人山崎為德は、学問や信条に秀で、見込まれ故郷を遠く離れた九州熊本で勉学に励んだ。山崎のふるさと水沢は何人もの優れた人材を生み出している。水沢の人は故郷の先人たちを自慢しつつ励みにしていそう。
山崎為德 (やまざき ためのり)
1857安政4年3月3日、陸奥国胆沢郡水沢(現・岩手県奥州市)、水沢留守藩の家臣・山崎為美の長男に生まれる。幼名、周作。
*後藤新平、斎藤実と縁続きで幼いころから遊び仲間であった。
?年 藩校・立生館(りゅうせいかん)で学び、後藤・斉藤とともに水沢の三秀才といわれた。なかでも山崎は秀才中の秀才といわれる。
*後藤新平: 明治・大正期の政治家。医学をおさめ、衛生行政・植民地台湾統治・都市計画に先見と手腕を示した。1925大正14年、日ソ復交に尽力。満鉄・鉄道院・帝都復興院総裁、逓相・外相・内相・東京市長など歴任。
<2.26事件、斎藤実(岩手県水沢)>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/02/226-a686.html
1868明治1年、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争はじまる。
1869明治2年6月、版籍奉還。藩主を各藩知事に任命(274人)
8月12日、胆沢県庁が開設され、旧熊本細川藩士の野田豁通が少参事として赴任してきた。山崎は斉藤とともに野田の学僕(給仕)に雇われた。
1872明治5年、野田が帰郷のさい、山崎は野田に見込まれて熊本に行く、ときに15歳。
熊本洋学校に入学、寄宿舎に入る。最初の3年間はキリスト教にふれず、最後の1年を毎週一夜だけ、有志が*ジェーンズ校長宅で聖書を学んだ。
*ジェーンズ: クリスチャンで南北戦争生き残りの砲兵大尉。母校ウエストポイント陸軍士官学校の厳しい訓育と英国ラグビー中学の人格教育を範に立身出世主義よりも実学を教え、市民社会的倫理を重視した。
1876明治9年、1月末に有志35人が熊本城西南にある花岡山に集まり、新日本の先駆者たらんと、誓約書に署名(花岡の誓い)。熊本バンドの一員。
<後進育てた無私の陸軍監督総監、野田豁通(熊本県)>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2016/06/post-a86f.html
<存立期間は短くも人材輩出、熊本洋学校(熊本県)>
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2016/10/post-3598.html
1875明治8年、開成学校(東京大学の前身)に入学。
1877明治10年、西南戦争。
新島襄が京都に設立した同志社大学の前身、同志社英学校の方針に賛同し転校。第1回卒業生。
同志社では新島襄の信頼をうけ、在学中から後進の教育にたずさわった。最初の日本人教師・幹事の一人として草創期の同志社に貢献する。
1879明治12年、郷里水沢の青年たちの招聘をうけ、夏季休暇中に帰郷。プロテスタントの教えを説いた。その時、小学校教員をしていた友人の片桐清治が影響を受ける。片桐は、山崎の招きを受け1880年に同志社に入学する。
1880明治13年、主著『天地大原因論』を発表。
著書は、その英才をしのばせるもので、J.D.Davis教授が英文の序を寄せている。そのほか同志社英学校の校務や講演会など精力的に活躍するが、肺結核にかかってしまう。
1881明治14年11月19日、京都市の新島邸宅内で死去。樋口一葉と同じ24歳の死、あまりに早すぎる。
京都市左京区の哲学の道南端から登る若王子同志社墓地に墓所があり、郷里水沢大林寺の山崎家墓地には遺髪がおさめられている。同志社にある碑文は、M.L.Gordon教授の撰文。
参考: “You Tube”「同志社英学教員・新島襄の片腕」(東北文化映像研究所ライブラリー映像館) / 『岩手の先人100人』1992岩手日報社出版部) / 同志社大学HP / ウイキペディア山崎為德
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