教育家・郷土史家、阿刀田令造 (宮城県)
ブログを書くとき、地域の書籍やデジタル資料で調べているが、現今ほんとうに便利になった。卒論を書いていた頃、国会図書館にいって立ちっぱなしでカードを調べて請求していた。それが今では国会図書館デジタルコレクション http://kindai.ndl.go.jp/ で居ながらにして検索できてダウンロードして読める。教科書に載っていないような人物をとりあげている身にはとても助かる。
古いものもさることながら地域ならではの出版物がまたいい。ただ、そうした出版物は郷土の誇り、栄誉を讃え欠点をあげなさそう。その辺を考慮する必要もありそうだが、出自や経歴がわかる。名だけは知る山河が登場すると未知の土地ながら親しみを覚える。そうした郷土の歴史は、日本を知る上でも研究に欠かせないと思う。でも、昔は今ほど大事にされていなかったようにみえる。そうした時代、東大・京大で学問をし、西洋史を研究し著作を著したにもかかわらず、先駆けて郷土史会をたちあげたのが阿刀田令造である。
阿刀田令造は、仙台藩だけでなく近隣の藩からも入塾する東北で学びの中心、仙台藩の藩校・養賢堂の学頭をつとめたこともある。郷土の研究につとめた阿刀田令造、どのような家に生まれ育ったのだろう。
阿刀田 令造 (あとうだ れいぞう)
祖父・阿刀田契仲は、45歳の時、務めていた塩釜神社別当・法連寺住職を1869明治2年、「僧をやめて神(お塩竈さま)に使えよ」という廃仏毀釈により、家財をまとめ船に積み込み、*貞山堀を南下、下増田・東光寺に帰った。時に契沖45歳。
*貞山堀:ていざんぼり。 宮城県岩沼市南東端、阿武隈川河口北岸の玉浦納屋から海岸に沿って北上、名取川河口の閖上(ゆりあげ)、七北田川河口の蒲生を経由、塩釜市東端で塩釜港に通じる運河。貞山、伊達政宗が掘らせた運河。
1878明治11年8月7日、阿刀田令造、宮城県名取郡下増田村(名取市)、仙台まで3里の地で生まれる。
父は阿刀田義潮 (よしとも・河東田豊治)。
1880明治13年11月、契中は養女(契沖の兄の娘)の夫、弟子の阿刀田義潮に職をゆずって引退。
1889明治22年、義潮は下増田村初代村長となる。以後30年に及び名村長といわれた。
同年8月、祖父・契沖死去。令造曰く
―――祖父に学ぶべきことは多い。身を持すること頗る堅固、人に施すこと極めて厚い。いつ死んでもいいように完全に準備しておいた・・・・・・出処進退を明かにしたこと、之は、やはり学ばねばならぬ。
? 宮城県仙台第一中学校(仙台第一高等学校)を卒業
1902明治35年、第二高等学校(東北大学)入学。
? 東京帝国大学(東京大学)に進み、西洋史を専攻。
1905明治38年、東大卒業。さらに京都帝国大学(京都大学)に進学。
在学中、真宗大谷派僧侶の近角常観が東京府東京市本郷区で主宰していた求道学舎に寄宿。真宗中学の教職を兼ね、私立京都高女校長となり、夫人と共に経営にあたる。
1910明治43年、第二高等学校に教授に就任。この間、『西洋歴史講義』刊行。
以後、1928昭和3年まで、『世界史評論』『西洋史論』を著し、西洋史学者として知られ『西洋史概説』は学生の教科書として用いられた。
1912大正元年11月13日、第二高等学校教授。九俸給下賜・文部省。
1915大正4年10月18日、高等官5等・正7位。
ちなみに同じ日、医学博士理学博士・野口英世、叙勲4等旭日小授賞。
1918大正7年7月、学術研究のため東京府、長野・新潟両県、12月京都へ出張。
1930昭和5年、「仙台郷土研究会」を地元宮城県で創設。
早くから郷土の歴史に意を注ぎ、学校の順跡会を主催。郷土研究を組織して委員長となり、郷土研究の普及につとめた。
1931昭和6年、機関誌『仙台郷土研究』刊行。
小倉博(『政宗公御名語集』編者)とともに郷土史家の先駆となった。
1932昭和7年、仙台第二高等学校・第九代校長に就任。これより二高にあること実に33年、徹底した教育方針が評価を受け「名校長」と称された。
1936昭和11年、『郷土史漫筆』刊行。
その内容は、郷土研究私見・伊達政宗・林子平・百合若大臣物語・仙台の昔を語る・石巻の歴史を探など。
1937昭和12年、『尚志会全史』第二高等学校尚志会編、題字・序言を寄せる。
1943昭和18年、65歳、校長引退。
戦争末期 養賢堂学頭をつとた。
1946昭和21年11月、仙台市公民館、初代館長。『仙台市史』編集にあたる。
1947昭和22年5月21日、病に倒れ三百人町の自宅で没。下増田東光寺に葬られる。
著書: 『二高を語る』『郷土ものと紀行』『仙台城下絵図の研究』『郷土人として』『郷土の飢饉もの』『郷土飢饉の研究』など。
家族: 次男の阿刀田研二は生物学者。妻は岸信介・佐藤栄作兄弟の姪。三男の阿刀田徹三は無機固体化学専攻の化学者。作家・阿刀田高は甥。
参考: 『宮城縣史 29』(人名編)1986宮城県 /ウィキペディア・阿刀田令造 ・<レファレンス協同データベース>宮城県図書館、
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000139491
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