放浪の俳人・富士崎放江、晩年は「福島案内」編集(福島県・新潟県)
“【福島の歴史守れ】6市町に「レスキュー隊」原発避難地域 進む民家解体 眠る文化財(毎日新聞2017.6.11)”――― 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示で荒廃した民家から古文書や歴史的遺物などを救いだす「文化財レスキュー」が福島県内6市町村で本格化しているという記事。危機感を抱いた大熊町など、戊辰戦争で使われたとされる弾薬箱や、古い農機具など数百点を救出、将来、展示会を開きたい考えだという。
大熊町は多くの町民が会津若松市に避難しているから、明治期の会津新聞を探してみた。
[会津日報]があった。会津日報は1905明治38年創刊、地元紙としてよく読まれていたが1918大7年終刊、合併して消えたという。
その[会津日報]創刊にあたっ、富士崎放江(ふじさきほうこう)という俳人が福島から会津若松市に迎えられた。それまで富士崎は各地を放浪していたが晩年は福島に住み、蔵書家としても知られる。「田舎魯庵」ともいわれたようだが手許の人名辞典に載ってない。仮にも「魯庵」というからには物識りと思われ関心をもった。
富士崎 放江 明治~昭和前期の俳人
1874明治7年12月27日、新潟県水原町に生まれる。本名・和一郎。初号・雅峰。
1890明治23年、16歳で上京して各地を転々とする。
福島民友新聞記者として活躍。
河野広中らによって明治28年5月20日創刊「福島実業新聞」を母体とし、その後いくつかの紙名変更して1899明治32年11月25日付から福島民友新聞となった。
1905明治38年4月、『会津日報』創刊のため若松市に迎えられる。
1911明治44年5月5日、『雙巌集』(そうがんしゅう)刊行。
書肆:印刷者・佐藤貞吉(福島市五月町)、福島新聞社印刷。定価:非売品→裏表紙に「非売品、印刷実費として一冊金参拾蜂銭外に送料金四銭申受けたく候」
印刷技法:活版 表紙石版色刷り 装丁:洋装 カバー。
*大曲駒村(おおまがりくそん)が富士崎放江、湯浅十框とともに福島県内の俳人たちに呼びかけて河東碧悟桐、高浜虚子など来県時の作を持つ県外作者も含め三百人の二千二百句を収載した画期的な選句集。
編輯者:湯浅為之進(十框、安積郡郡山町)・大曲省三(駒村、相馬郡小高町)・富士崎和一郎(放江、福島市中町)の合選。
*大曲駒村
1882明治15~1943昭和18年
江戸川柳研究家。福島県相馬郡小高村生まれ、本名:大曲省三 。
著書: 『川柳大辞典』『東京灰燼記』『枯檜庵句集』( 小高区役所内 小高観光協会より)
1919大正8年、『福島案内』編集 (萩の舎)
国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/961979 で見られる。写真と短い解説付き。「福島案内」中の今なお残る同所に行って、およそ100年前の写真と見比べたら、歴史を肌で感じられそうだ。
富士崎放江の晩年: 福島に住み会津日報に健筆をふるい「たらの芽会」を結成。
俳句は日本派に親しみ、「ましろ」同人。「真葛」「紙魚」などの句誌を発行。
句集に「江湖放浪句鈔」「冬扇抄」、駒林と共編「雪人句集」、川柳など軟文学にも造詣がふかかった。
1923大正12年、関東大震災。大曲駒村『東京灰燼記』震災ドキュメントを東京市内の罹災地を歩いて見聞しわずか一週間で書き上げ、震災の一か月後に出版。
1924大正13年、『褻語』(せつご) 私家版、89章から成る小話集を出版。発禁となる。
1928昭和3年、大曲駒村と共著『誹風末摘花通解』刊行開始。5年を要し放江死後、完結。
1930昭和5年10月27日死去。57歳。自伝「放浪五十年」があるようだが未見。
福島市内の信夫山にある墓所に、辞世の句碑が故郷新潟の方に向けて立てられている。
朝の蚊の 窓逃れ行く 冷しさよ
<福島県立図書館蔵、放江文庫(849冊)>
生涯をかけて収集した蔵書で、主な内容は江戸期の文芸随筆。『蔵書目録 昭和38年現在 語学篇文学篇1』1964福島県立図書館編
参考:『明治時代史辞典』2012吉川弘文館 / 『明治時代の新聞と雑誌』西田長寿1961至文堂 / 国会図書館デジタルコレクション http://kindai.ndl.go.jp/
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