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2017年11月25日 (土)

岩手県と西南役・日清役・雪中行軍・日露役・河内艦遭難

 抽出を整理していたらJRの旅案内がでてきた。
   「冬の三陸で震災を学び冬の幸を満喫 ―― つながったレールのその先へ 三陸のあの日と今に学ぶ旅 
 東日本大震災から丸7年、なのに未だ困難さなかの人が少なくない。何の役にもたってないのに何だけど、復興が遅いのは「日本」が衰えてるからだろうか。明日はわが身ということもある。この先、どうなるんだろう。 でもまあ杞憂にすぎないことを願い、近い昔をふりかえってみよう。
 国会図書館デジタルコレクションには近い歴史が詰まっている。様々な地域史が読め、その土地ならではの情報が得られる。
 たとえば、岩手県の『紫波郡誌』付表にある軍人忠死者の氏名を目にすると、東北から遠く離れた戦場での戦い、無念の死、それぞれの家族の悲しみが思いやられる。戦役毎の戦死者数は次のようである。名は記載しない。

         西南戦争

   戦病没年月日 : 紫波郡.3人。 1877明治10年5月~10月4日
   場所(戦場、病院) : 熊本軍団支病院・大阪病院・鹿児島県鹿児島郡 
   住所(出身地) : 赤沢村・長岡村
   兵種官等級 : 陸軍二等兵卒・同歩兵二等卒

 1877明治10年、鹿児島を中心に発生した最大の士族反乱。
 東北の岩手県から九州熊本や鹿児島へ行くのは、まだ鉄道がないから船で出征したと思うが、それでも大変だったと思う。明治6年の徴兵令は満20歳男子から抽選し3年間の軍務であったが、岩手県からどれだけの人数が徴兵されたのだろう。
 ちなみに西郷軍の総員23.386人、うち兵士15.600人。このうち手負い2561人、戦死2741人、行方知れず2711人(明治10.11.11 朝野新聞)。
 政府軍15000余、即死4194人、負傷の後死亡1829人、快癒6284人、療養中3314人(明治11.2.6 東京日日新聞)

       日清戦争

   戦病没年月日 : 紫波郡.24名。 1895明治28年2月~31年6月
   場所(戦場、病院): 台湾島大蒲林舎・台南・台北・清国金州城内・台湾土林付近・広島病院・清国山東省・清国福建省沖・台湾基隆病院・仙台予備病院・清国金州兵站病院・乙部村・広島予備病院

   住 所 (出身地): 日詰町・古館村・徳田村・見前村・飯岡村・煙山村・不動村・水分村・志和村・赤石村・彦部村・佐比内村・長岡村・乙部村

   兵種官等級 : 陸軍歩兵一等卒勲八等・一等軍曹住八位・砲兵一等卒・歩兵一等卒ラッパ手・一等卒・輜重輸卒・歩兵上等兵・二等卒・近衛歩兵一等卒・歩兵一等卒勲八等・二等軍曹・一等看護長・近衛歩兵

 日清両国が朝鮮をめぐって起こした戦争、また初めての対外戦争。
 1894明治27年7月開戦。日本が優勢のまま翌年4月、下関条約が締結された。出征兵士は夏の暑い盛りになれない外国に居るだけでも大変だったに違いない。
 死者の出身地を知るだけでも家族と共に帰らぬ人の無事を祈る村人の存在がさっしられ、戦争がなまなましく立ちあがってくる。

       八甲田雪中行軍

   戦病没年月日 : 紫波郡.11名。 1902明治35年1月 
   場所(戦場、病院) : 青森県八甲田山麓・東津軽郡・歩兵第5連隊・東津軽郡
   住所(出身地) : 日詰町・見前村・煙山村・不動村・志和村・彦部村・佐比内村・赤沢村
   兵種官等級 : 陸軍歩兵一等卒・二等卒・陸軍伍長・上等兵

 映画にもなった八甲田雪中行軍の悲劇。
「当地青森は五日前から間断なく雪降り続き、なおやまず。ために列車普通となり、行軍兵200余名行方不明となり、目下捜索中」(時事新報35.1.28)
「凍死体見つかる。降雪のため埋没したる兵士の屍体、唯今(3時15分)までに発見されたる者4名のみにして、他は不明なり。工兵、歩兵900名、人夫600名にて目下捜索中なり」(時事35.1.30)

       日露戦争

   戦病没年月日 : 紫波郡.67名。 1904明治37年7月31日~ 明治39年2月4日
   場所(戦場、病院) : 清国黒溝台・長灘・奉天府・盛京省・韓国咸鏡北道・広島予備病院・清国遼陽・蘇麻堡・揚子屯・弘前予備病院・清国漁鱗堡・奉天付近・小季保子・弘前病院・東京予備病院・不詳・歩兵第五連隊・大連兵站病院・遼陽兵站病院・慶運堡

   住所(出身地) : 日詰町・古館村・徳田村・見前村・飯岡村・煙山村・不動村・水分村・志和村・赤石村・彦部村・佐比内村・赤沢村・長岡村・乙部村

   兵種官等級 : 陸軍歩兵中尉従七位勲六等功五級・少尉正八位勲六等功五級・砲兵伍長勲八等・一等卒勲八等・上等兵勲八等功七級・軍曹勲七等・二等卒・補充兵輜重輸卒・補充兵二等卒勲八等・上等兵・三等看護長勲七等・騎兵一等卒勲八等功七級・騎兵一等卒・工兵一等卒勲八等功七級・輜重輸卒

       河内艦遭難者

   戦病没年月日 : 紫波郡.5名。 1918大正7年7月12日
   場所 : 山口県徳山湾
   住所(出身地) : 日詰町・煙山村・志和村
   兵種官等級 : 海軍四等水兵・海軍三等水兵・一等機関兵・三等機関兵
 
 大正7年7月12日、山口県徳山湾に停泊中の戦艦河内、火薬庫が爆発し沈没。乗組員645人死傷。こうした不祥というか爆発は他にもあったらしい。

   〔河内艦     土井晩翠
 
     六百の国の干城火に焼かれ
     水に溺れし周防灘
     波よたがため今日緑なる
     ・・・・・・
     生き残る壮士泣きつつ丘の上
     たなびく荼毘の烟みる
     よべはハンモク触れ合ひし友
     ・・・・・・
     周防のうみ徳山灘の波あらく
     六百の霊亡びしよ
     艦は造らばまた作るべき

       参考: 『紫波郡誌』1926岩手県教育会紫波郡部会 / 『明治日本発掘』1995河出書房新社 / 『燭光』土井晩翠1919金港堂書籍 / 『近代日本総合年表』1968岩波書店  

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