仙台史跡めぐり(宮城県)
図書館大好き、近所の図書館はありがたい。さらに大学の図書館はうれしい。閉架書庫に泊まり込んで好きなだけ資料を漁りたいくらい。しかし入館できない大学図書館もある。残念だが仕方がない。又、あまり遠いと行かれない。ところが仙台にいく機会があり、東北大学図書館に行ってみた。
その日は雨で木々の濃い緑がしっとり、天まで伸びた樹木と建物が調和していい光景。勉強しすぎて疲れてもキャンパスの緑に癒やされるでしょう。タクシーをおり、聞くまでもなく図書館はすぐにわかった。入口を入ってすぐ右に、魯迅と藤野先生の像があり思わず、「あぁ、東北大学!」
“仙台医学専門学校、藤野先生と魯迅(宮城県)”
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2015/08/post-4c00.html
“魯迅「藤野先生」(現東北大学・仙台医学専門学校)”
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2011/10/post-dc8f.html
東北大図書館はさすがに東北ならではの書籍がならんでいた。片端から読みたかったがそうもいかず、3時間位いて外に出た。帰りはスクスク伸びた樹木の緑をたのしみつつ歩いて、学校近くの国際センター駅から地下鉄で仙台駅のホテルに戻った。
けやきが大好きでペンネームにしているが、都心はもとより近郊の樹木はほとんどが剪定されている。それを見なれてるから思いっきり、好きなだけ、天まで伸びた木をみるといいなあと思う。
土井晩翠・晩翠草堂
仙台駅前のバス乗り場から、主な観光地を循環する<るーぷる仙台>号がでている。一日乗車券大人620円、乗り降り自由で自分のペースで楽しめていい。バス停は16あるが、のんびりしすぎて数カ所しか見学できなかった。その最初が晩翠草堂。 バスは満員だったけど下車したのは私だけ。仙台に来たら青葉城、♪荒城の月、土井晩翠でしょと思うが人の興味は様々ですね。
草堂というとおり、住まいはこぢんまりしている。戦災で住居と蔵書を失った晩翠のために、教え子など市民有志が中心となり、旧住居跡に建設されたものと教えてくれたのはボランティアの方。ご当地ならではの話や展示物の解説が聴けてよかった。次の年譜は仙台文学館発行パンフレット「土井晩翠」から。
1871明治4年、仙台市北鍛冶町(青葉区木町通)に生まれる。
実家は大きな質屋で裕福。漢学を学び、斎藤秀三郎の仙台英語学校に通う。
1894明治27年、第二高等中学校卒業。東京帝国大学英文科に進学。
1896明治29年、雑誌『帝国文学』編集委員。
1898明治31年、カーライル『英雄論』翻訳出版。帝国文学に「星落秋風五丈原」発表。
“愛誦の楽しみ、土井晩翠(宮城県)”
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/06/post-6430.html
1899明治32年、第一詩集『天地有情』出版。
1900明治33年、母校の教授として郷里の仙台に帰る。
1901明治34年 ~ 1943昭和18年、
【晩鐘/東海游子吟/曙光/天馬の道に/チャイルド・ハロウドの巡礼/アジアに叫ぶ/神風/イーリアス/オディッセーア】
1902明治35年、イギリス滞在中の晩翠はロンドン郊外の港で、病気のため留学半ばで帰国する船上の滝廉太郎を見舞った。これが、「荒城の月」作詞者と作曲者のただ一度の出会いであった。
1945昭和20年、敗戦。
1949昭和24年、仙台名誉市民。翌25年、文化勲章。
1952昭和27年8月、仙台城址に「荒城の月」詩碑建立。
10月19日、逝去。満80歳。
仙台城趾
城跡に立つと仙台市内が一望できてなかなかいい眺め。しかし、見渡す限りのその地が、戦災、空襲、大震災と大きな被害にあったことを考えると胸が痛む。さらに高い所から城下を見下ろす伊達政宗公は何を思うだろう。
“伊達政宗騎馬像、彫刻家・小室 達 (宮城県)”
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2017/07/post-f986.html
1868明治元年、仙台藩降服。
仙台城の本丸にあった大広間などの建物は、明治なり政府に売却され、取り壊されたが、二ノ丸、三の丸は軍の施設など利用されたため明治になっても多くの建物が残っていた。
1871明治4年、東北鎮台(後の仙台鎮台)を仙台城二ノ丸に移す。
“東北鎮台(軍団)”
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2011/04/post-3861.html
1874明治7年ごろ、仙台城本丸が破却される。お城があったのに壊されて木材は売られてしまったという。
1882明治15年、残っていた二ノ丸が火災で焼失。
・・・・・・
1945昭和20年、アメリカ軍の仙台空襲。大手門・脇櫓。巽門焼失。
2011平成23年3月11日、東日本大震災により、石垣や土塀が被災。
本丸石垣や中門石垣・清水門石垣が崩落したり変形して崩れかかる被害がでた。
参照: ガイダンス施設<仙台城見聞館>パンフレット・ワークシート。
日本の水力発電発祥・三居沢発電所
立派で見栄えもする仙台藩祖・伊達政宗公霊屋、瑞宝殿を見学する人は多かったが、三居沢発電所バス停で降りた人は自分だけ。運転手さんに教わったように川沿いの道をいったが、水力発電所らしいものが見当たらない。そのうち、こぢんまりした三居沢電気百年館があった。水力発電所というのでダムを思ったが、ああ勘違い。
三居沢発電所は広瀬川の水を動力として使用する、全国でもまれな市街地にある発電所。現在は出力1000kwの水力発電所と配電用変電所として、いまなお電気をつくり続けている。
電気百年館の2階のベランダにでると写真のような光景が見られる。歴史的な趣があるが今も仙台技術センターから遠隔監視・制御されて発電しているという。
三居沢の先駆者たちとして菅克復・伊藤清次郎・藤山常一の名があがっている。
“仙台の交通と電気、電狸翁・伊藤清次郎 (宮城県)”
https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2016/04/post-2e19.html
なお、発電所建屋は、「国指定有形文化財」として登録。発電所と所蔵物が「近代化産業遺産」、発電所関係機器・資料群が「機械遺産」としてそれぞれの機関から認定されている。
1888明治21年、宮城紡績会社工場内の水力を利用して、出力5kwの直流発電機で、工場内50灯、鳥崎山に1灯のアーク灯をともす。
1894明治27年、三居沢の水力発電を利用して、仙台電灯株式会社が伝統事業を開始。仙台市内に365灯の電灯をともす。
1902明治35年、三居沢で日本最初のカーバイトの製造に成功。
1910明治43年、現・三居沢発電所運転開始。
1912大正元年、仙台市電気部に譲渡。
1942昭和17年、東北配電に継承。
1951昭和26年、東北電力に継承。
参考: 東北電力<三居沢電気百年館>
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