やさし過ぎる英語参考書、小野圭次郎(福島県)
新撰組九番隊組長や御陵衛士を務めた鈴木三樹三郎の女婿で、義理の伯父が伊東甲子太郎。
平成最後の2019年3月、東日本大震災8年だが復興未だし。"廃炉 続く綱渡り" "除染 先見通せず"(2019.3.7毎日新聞)、厳しい現実が報道されている。
4月、会津若松市に町役場、小・中学校ごと避難している大熊町の一部地域の避難指示が解除されることになった。ただ、解除される地域住民は町民の4%に過ぎないという。
全町避難で無人の大熊町は荒れてしまう。それを町民が戻るまでと無人の町に通って、やぶを払い、水路をさらい、イノシシの侵入を防いだりと奮闘の通称「じじい部隊」停年を迎えた町幹部ら60代の6人。テレビで活動の様子を見たことがあるかもしれない。
ところで、大熊町の皆さんは前を向き、故郷の伝統を大事にしつつ避難先の文化をも学んでいる。大熊町は前々から読書が盛んで学ぶ姿勢ができている。
たまたま大熊中学校の先生と話す機会があり、とても読書指導に熱心で感心した。本好きの筆者からすると、この先生に出会った生徒は「一生物」を手に入れたと思う。本の世界は広く、深く、無尽蔵だ。雑読乱読、好きな物語に出会って欲しい。
さて、本といっても面白い物語ばかりではなく、教科書や参考書など難しくても必要な本がある。とくに受験に参考書は欠かせない。でも、苦手なもの読み難く、頭にも入らない。しかし、受験英語の神様と称され、英語学習の基本スタイルを確立、「小野圭の英語」として世代を超え親しまれた「英語受験参考書」で勉強したら覚えるかもしれない。それを執筆した小野圭次郎をみてみよう。
小野 圭次郎
1869明治2年3月9日、磐城国磐前郡(福島県いわき市)の福島県の医家、小野良意の長男に生まれる。
?年、 福島県立師範学校卒業
1900明治33年、東京高等師範学校 英語専修科を卒業。
校長・矢田部良吉(植物学者・詩人)を恩師と慕う。
?年、 福島県立相馬中学校に英語科教員として赴任。以後、愛媛県、三重県などで英語教師を勤める。
1898明治31年、同郷の来島正時(山海堂主人)と知り合う。
1905明治38年4月18日、茨城県立土浦高等女学校・教諭。11給俸下賜 。但し当分年俸660円下賜(官報)。
1909明治42年6月15日、福岡県立小倉中学校、教諭。
1917大正6年8月、山海堂に中等学生用、受験参考書の著述を依頼されるも多忙で勤務先も遠いため、なかなか進まない。
1921大正10年、四国松山の北予中学校赴任。在職中執筆、『最新研究英文の解釈考へ方訳し方』が150万部を越える大ヒットとなった。以後、約44年間で1,151版を重ねる。
<小野圭次郎と山海堂主人・来島正時>
来島は慶應義塾を卒業して役人になった。ところが辞めて大阪でて会社員になるが、それもやめて東京にでて古本商を営む。そして小野がであった頃は独力で出版事業を始めていて、小野に「何か本を書いては如何、同郷のよしみをもって出版すすめた。しかし小野は「自分は本など書ける柄ではない」と断った。
大正のはじめ、来島は「新教育の理論及び実際」を出版、ついでドイツ人・ケルシェンスタイネルの公民教育に関する著作の単行本をだすことを計画していた。ところが、
1914大正3年、日本はドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参加、ドイツ人の本の翻訳を引き受けるところがなくて困った。そのとき来島は、2、3年前から始めていた受験参考書を出版を思い立ち、代数や国文解釈などを出版。それで、小野に英語の参考書を出すよう勧めた。
そこで小野は
――― 優秀な学生は少数で参考書などを頼らなくても立派にやっていけるから・・・・・・学力の普通の者を目標におき、普通以下の者まで考慮してきわめて親切丁寧にしかも優秀学生にも相当役立つ様に書く・・・・・・ かかる理由によって拙著はその仕組みも説明も思いきって分かりやすくしたのである。
――― 時には「余りやさし過ぎる」と表されるが、これを耳にするときは喜びにたえない。何となれば斯くまで平易に出来ているならば、学力のまだ進まない様な女学生に至るまで頗る広い範囲に亘って、拙著類の微力が及ぶであろうと思われるでからである(『中等学生英語参考書完成記念誌』より)。
1928昭和3年、英文解釈・英文法・英作文に関する参考書、アクセントに関する小冊子、年刊英語問題集を出版。
1930昭和5年、教職を辞して上京。
「英語の単語研究法」など多くの受験参考書を出し「小野圭」の名で親しまれた。
――― 着手してより十有五年間という長き歳月を費やして兎も角も・・・・・・英語参考書一通りの完成を告げるに至った次第である。塵も積もれば山となる。朝な夕なの零砕な寸暇を利用して執筆・・・・・・今や7種4千数十ページの書となり(昭和7年)
1952昭和27年11月11日、死去。83歳。
新撰組九番隊組長や御陵衛士を務めた鈴木三樹三郎の女婿で、義理の伯父が伊東甲子太郎(新選組隊士、常陸国志築藩士)。
参考: 『民間学事典』1997三省堂/ 『ウィキペディア(Wikipedia)』 / 国会図書館デジタルコレクション(問題集が見られる)
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