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2019年5月18日 (土)

『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』でみる南海電気鉄道(大阪・和歌山)

Photo_3thumb1thumb1thumb1thumb1thumb1thu  地図が読めない、鉄道や列車、路線に無関心だったが、早稲田オープンカレッジ、今尾恵介<明治維新150年 地図と記号の歴史をたどる >を受講、興味がわいた。 地図は歴史そのもの、路線図は具体的で目に見える歴史、知ればおもしろい。
 博覧強記の今尾先生の講義が楽しかったので、さっそく著作を検索。すると様々な角度からとりあげた地図や地名、鉄道や駅などに関する著書がたくさんあった。近所の小さな図書館にもあって自分が知らないだけだった。

 『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』(今尾恵介2019白水社)
 歴史好きでも敬遠しがちな文書を読みやすくして掲載してある。おかげで申請者や宛先の大臣名からその時代がかいま見られ興味深い。自分にはただの記号の集まりの地形図、少しは見るようになった。
 昔、地理の授業は苦手だった。こういう先生に教われば、地理=諳記でなく地名の意味、歴史を知って、地理嫌嫌いにならなかったかもしれない。これからは遠出するとき、土地の名物だけでなく由来も見てみよう。

 『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』関西2<近鉄・南海>に、現存する日本最古の私鉄、南海電気鉄道がのっている。
 その南海電気鉄道に2015年夏、高野山の宿坊に泊まったときに乗った。『明治の一郎 山東直砥』を書くにあたり、主人公が高野山で修業していた寺を知りたてでかけたのである。和歌山から*橋本にでて乗った。
『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』によると橋本の町は、
    ――― 紀ノ川の水運と高野街道が十字に交錯する古くからの交通の要衝・・・・・・ 紀ノ川北岸に宿駅の設置・・・・・・塩の荷揚げ場を作って塩市を開いたのが町の発端・・・・・・
    (以下、―――線は『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』からの引用である)

 南海電気鉄道編の書き出し、
    ――― 仁徳天皇陵といっても今の中高生にはあまり通じないらしい。葬られているのが本人かどうか確認がとれないため、教科書に大山(だいせん)古墳として乗っているからだ・・・・・・
 つい先日、この古墳が世界遺産になるというニュースがあったばかり。さらに、前回アップした記事と重なる箇所もあり、なにがし縁を感じた。

    ――― 1882明治15年に廃線になって間もない、岩手県釜石鉱山で大橋の鉱山から製鉄所を結んでいた鉄道の用品一切を、機関車やレールから何から格安で払下げを受けることに成功した・・・・・・
    “岩手県の近代産業の先駆、釜石鉱山田中製鉄所・横山久太郎”
    https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2019/05/post-b2a664.html

 南海電気鉄道のルーツは日本最古の私鉄、堺と大阪を結ぶ鉄道の阪堺(はんかい)鉄道。そこで関連事項をならべてみる。
 1882明治15年、藤田伝三郎ほか18名で「大阪堺間鉄道会社」設立を志願。
 1884明治17年、工部省から設立の承認を得る。
    しかし、蒸気機関車はまだ国内で生産できず、輸入するには高価だったから、引用したように、釜石鉱山で使用していたのを時価の3分の1程度で払い下げを受けた。そのため、新橋・横浜間より狭いレールの軌間でスタート。

 1885明治18年、日本初の純民営鉄道、阪堺鉄道が難波~大和川間を開業。
         同21年、堺まで延伸。
 1889明治22年5月、阪堺鉄道の終点である堺から、和歌山を目ざし、紀泉鉄道会社が創立の請願書を提出。
 1892明治25年7月、摂津と和泉を結び住吉大社もあり乗客数が伸び、複線化する。
    民営鉄道として最初の複線化を申請。内務大臣・河野敏鎌。

 1893明治26年、紀泉鉄道紀阪鉄道(大阪-和歌山)が合併、紀摂鉄道として鉄道敷設の仮免許を得る。
 1894明治27年、日清戦争はじまる。
     のち南海鉄道となる紀摂鉄道が、堺~和歌山まで鉄道敷設仮免場を得る。
 1895明治28年、創業総会で紀摂鉄道を「南海鉄道」と改称。

   ――― 南海とは古代の「五畿七道」の南海道にちなむものである。五畿とは、都を中心とする五か国、大和・山城・摂津・河内・和泉の五カ国・・・・・・ 南海道は、紀伊・阿波・淡路、それに讃岐・伊予・土佐を加えた六か国から成っている。

 1897明治30、10月堺~佐野間開業。翌31年、和歌山北口まで開業。
 1903明治36年3月、紀ノ川に大橋梁完成、難波~和歌山市間が全通
    ――― 川幅の広い紀ノ川に鉄橋を架けるのは一私鉄にとってまさに大仕事であった。

  1904明治37年、日露戦争はじまる。
 1906明治39年10月、高野登山鉄道株式会社を設立。
      11月、*逓信大臣・山縣伊三郎に仮免許申請。
   ――― 逓信大臣宛に提出しているのは、当時の鉄道事業が逓信省の管轄(同省鉄道作業局)であったため・・・・・・ 蒸気機関車のみであったが、のちに電気鉄道の利便性に注目、電車の運転を計画する。

 1923大正12年、阪和電気鉄道、大阪、和歌山間の鉄道敷設免許を得る。
    ――― 阪和間を直接結ぶ路線としては南海鉄道(難波~和歌山市)がすでに存在しているが、現在すでに輸送力の限界に近づいて

 1929昭和4年、阪和電気鉄道、開業。
 1930昭和5年、阪和電気鉄道が和歌山まで延伸、南海鉄道と競合
   ――― 南海より市街地を離れた内陸側を走る阪和電気鉄道としては、スピードで南海に負けていては存在意義がないため、本気で時間短縮にいどむこととなった・・・・・・
   第三次として1933昭和8年12月20日からは「超特急」を新設、ついに阪和間を45分とした。これが、戦前の定期列車としての国内スピード記録である。

 1937昭和12年、日中戦争始まる。
    ――― 地形図の世界では軍機保護法の改正に伴って「戦時改描」が実施されるようになった。たとえば、図上の軍施設や戦略的に重要な工場、発電所、ダムなどが、畑や住宅地などに擬装されるようになったのである。

 1940昭和15年8、南海鉄道は強力なライバル、阪和電気鉄道を吸収合併。
   ――― これにともなって阪和電気鉄道は「南海鉄道山手線」となるが、昭和17年2月、ライバル他社ゆえに素通りしていた南海高野線と阪和電気鉄道線(南海山手線)の交差地点に三国ヶ丘駅が設けられる。

 1944昭和19年6月、
   ――― 戦時統合の国策の下、やはり陸上交通事業調整法により関西急行鉄道(以前の大阪電気軌道・参宮急行電鉄などが合併)と合併、近畿日本鉄道の一部となる。
       阪和電気鉄道、戦時中の強制買収により国鉄阪和線となる。
 1945昭和20年、敗戦。
 1947昭和22年3月15日、南海鉄道、近鉄から独立。
   ――― 合併を免れていた高野電気鉄道を改称する形で、新に南海電気鉄道が戦前の路線(もちろん山手線以外)を復活させた。

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