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2019年7月13日 (土)

常磐炭坑節、常磐炭田開発者・加納作次郎(福島県)

  ブログをはじめて10年余、始めは本についてが多かったが、地方の歴史やその土地の人物に関心を持つようになった。探す楽しみもある。
 今はネットの時代、居ながらにして国会図書館、県や市、大学などの蔵書検索ができ、中にはダウンロードして読める本や論文もある。そのおかげで地方の情報が得やすくなり、採りあげた人物同士がつながったり、興味は増すばかり。
 とはいえ、誰を、何をが、すぐ思いつかない時もある。そんなときは、ご当地ならではの郷土史・県民百科類を見ると、実にいろいろな事物、歴史が詰まっている。
 先日は『福島県民百科』を見、どれに、誰にと迷っていたら「炭坑節」があった。子どものころよく耳にしていたが、今はさっぱり聞かない。暮らしの中で石炭も見なくなった。産業が衰えると、仕事唄を歌う人も居なくなるのかも。けれども、炭坑節は石炭のある暮らしを思い起こさせる民謡として、長く歌い継がれそう。

 石炭鉱夫、選炭業の女工たちによって歌われ、やがて全国共通の鉱山唄としてしられるようになった常磐炭田地方の仕事唄、常磐炭坑節。
   ♪ ハアー 朝もはよからョ カンテラさげてナイ(ハ ヤロヤッタネ)
   坑内通いもドント 主のためナイ(ハ ヤロヤッタネ)  

   <鉱夫>=汗と油 =地中の勇士 =素朴で無邪気 =楽天家(『磐城之富源』1915大和田与平)
      ・・・・・・朝の6時からヨー、カンテラ下げてネー、
      坑内勤めもナー、コラ野郎、親の罰・・・・・・
 と一種悲壮の声で無意識ながらも唄ふ彼ら鉱夫は、大自然が大地深くに秘蔵する宝庫を、闇中鉄槌を揮って切り開く。
 彼等は闇黒(やみ)と戦い、盤石と戦い、汗と油とダイナマイトとカンテラの煤煙と戦って居る、熟(な)れた仕事とはいへ平気で鼻歌で戦ってゐるのを見れば、戦線に突撃する兵士が、地中に奮闘している者と見なすことができる。


 常磐炭田は、福島県常磐地区と茨城県北部地区の産炭地帯を指し、かつては筑豊炭田、北海炭田と並ぶ大炭田だった。
 19世紀後半から約100年間にわたって本格的に採掘され、1970年代にその火を消した。
 幕末から採炭が始められた常磐炭田、ピーク時には120余の炭鉱がひしめき合っていた。
 江戸末期から明治初期までは、単に横穴を掘って石炭を採出する“タヌキ掘り”であった。機械化が進んでも、採炭そのものの機械化は進まず、両刃ツルハシによる掘進であった。やがて機械化が進み、電気の導入をはじめ採炭機構が近代化されるが、地底での石炭採掘はきびしいものであった。


          加納 作次郎

 前に常磐炭田の発見者、片寄平蔵を記したが、その片寄から採炭の要請を受けた人物が、加納作次郎である。
    “かつて栄えた常磐炭田、片寄平蔵(福島県いわき)”
    https://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2016/10/post-efb9.html

 加納作次郎の生年、没年とも不詳。
 いろいろエピソードを持っていそうな人物にも係わらず、資料が見つからず惜しい。
 山東直砥(一郎)に出会ったときも思ったが、なぜか、事蹟はあるのに埋もれてる人物がいる。加納作次郎もその一人のようだ。
 以下は『福島県民百科』(1980福島民友新聞社)による。

 ?年、 二本松藩領・白岩村(白沢村、福島県中央部、安達郡南部にある農村)で生まれ、農業に従事。本姓は鈴木。

  ?年、 磐城湯長谷藩の領内で酒造業を営み、あわせて藩の御用達である加納家の養子となる。*湯長谷藩領内、江名・豊間特産のカツオ節を江戸に販売するなど、商才は意欲的、積極的であった。

    豊間: 福島県いわき市の海岸部にある旧市。塩屋崎の南側に豊間漁協。
    湯長谷藩: 陸奧磐前郡におかれた藩。譜代大名1万石。磐城平藩主・内藤忠興の3男が分封され立藩。のち、1万5千石となり、廃藩置県にいたる。
 余談。宗家は上総佐貫から磐城へ、さらに九州延岡へ転封、南限の譜代大名となる。維新後は延岡藩は延岡県、ついで宮崎県となる。
 
 ?年、 加納は江戸で片寄平蔵と知り合い、明石屋治左ヱ門から石炭開発を勧誘される。
     家僕数人と人夫10余人で探鉱に乗り出し、白水川下流で炭層を発見。
 「くんのころ」とよんだ石炭を、燃料や野猪を防ぐ方法に使用し、弥勒沢に最初に鍬を入れた。
 片寄から採炭協力の要請をうけ、加納は弥勒沢のなかに炭層を追って、新に川平、藤原、小野田に新坑を開発し、山元採炭に取り組んだ。
     片寄平蔵の荷がカマスに赤印、加納作次郎が黒印を打ったので、赤星、黒星といわれ共に江戸へ移出。

 1871明治4年、*小名浜港でロシア船に石炭を移出
     小名浜港: いわき市小名浜の太平洋岸にある港。近世、天領の貢租米・石炭輸出港。
          後背地の常磐炭田と工業地域が港湾整備を促進、商工業港化。交通、福島臨海鉄道小名浜駅(貨物船)。
   

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