幕末・明治の博物学者、松森胤保(山形県)
当ブログも記事数570を越えたが種は尽きず、探すのは楽しい。多方面の人物、苦手な分野の人物にも出会いおもしろい。理数系はさっぱり解らず避けたいが、仕事や人生への向き合い方にはどの分野にも共通点がありそう。
今回は山形県、松嶺藩付家老として活躍した幕末生まれの明治人、松森胤保。興味のきっかけは人名辞典に動物学者とあるのに、「飛行機研究に熱が入り」(『航空五十年史』)の一行、どっちがホント?どっちもなの?と見てみたら、現代でも通じるようなスゴイ人だった。
松森 胤保 (まつもり たねやす)
1825文政8年6月21日、出羽鶴岡の中町(山形県鶴岡市二百人町)で生まれる。
鶴岡(庄内)藩士、長坂市右衛門の長男。母は石原氏。幼名・欣之助、字は基伯。
1831天保2年、初めて小鳥を飼う。幼少時より自然観察にすぐれ、石を採取、鳥の飼育、鉱物・化石・石器・土器に関心を寄せる。
1837天保8年、庄内藩校・至道館に入る。書道でも才能を発揮。
1840天保11年、大坪本流の馬術を習い、夏、元服して名を「胤保」と改める。
1842天保13年、宝蔵院の槍術を学び、居合い・砲術・水練も習得。
1854安政元年、30歳。このころセミを集める。
1856安政3年、致道館助教。藩医・松山道任の長女・鉄井と再婚(20代一度結婚)。
1862文久2年、38歳で家督相続。6月、出羽*松嶺(松山)藩付家老に任ぜられる。
7月、松山に移る。秋、「培植雑記」を起筆。
松嶺藩: 出羽飽海郡におかれた藩。譜代大名2万石。明治4年、松嶺県 → 酒田県 → 鶴岡県 → 明治9年、山形県。
松嶺(松山): 松山町。山形県北西部、飽海(あくみ)郡南部。庄内平野東部、最上川に沿う町。中心の松嶺は城下町。
1864元治元年6月、江戸詰となる。市中警備に当たる一方、小鳥屋・見世物小屋・書店などを回り見聞を広める。翌年5月、松山に戻る。
1865慶應元年、初めて銃猟に出る。9月、「銃猟誌」の序を記す。
1866慶應2年、「家蔵五玩雑録」の序を記す。「大泉諸鳥写真画譜」起筆。
1867慶應3年、「生類微事」の序を記す。12月25日、江戸*薩摩藩邸を焼討、庄内藩先鋒として松嶺藩兵を指揮。
*薩摩藩邸焼き討ち事件: 幕府側諸藩兵が薩摩藩屋敷など焼討をかけ、鳥羽・伏見の戦の導火線となった事件。王政復古クーデター後、倒幕派は武力討伐のきっかけに薩摩藩邸を拠点に浪士隊を使い江戸市中騒乱を計画、幕府側を徴発した。これに対し幕府主戦派は庄内ほか4藩2000人を動員、薩摩・佐土原の両藩邸を焼き討ちした。
1868慶應4年4月、軍務総裁。5月、白石会議で奥羽越列藩同盟結成。
7月、庄内戦争(戊辰戦争)が勃発すると、胤保は松山藩一番隊兼庄内藩一番大隊参謀として出征。新庄・中村・横手・花楯・角館・上淀川と転戦し勝利をおさめた。戦功により、松山藩主から「松守」の姓を賜わるが謙遜して「守」の字を「森」と改めた。
9月27日、庄内藩降伏。1月25日、藩主とともに松嶺を出発、東京に向かう。
1869明治2年、戊辰の敗戦後、松山あらため松嶺藩執政、公議人となる。
4月、東京で写真機や顕微鏡を入手。8月、松嶺に帰着。
1870明治3年6月、松山藩大参事に任ぜられる。
1872明治5年5月、廃藩置県。松嶺区長。8月、旧松嶺藩校・里仁館の総管兼大教授。
1874明治7年、50歳。「培植小論」の序を記す。
1875明治8年、松嶺区長を辞す。「求理私言」を著す。
――― (求理私言)太古世上に微細な生物が化生によって出現、これは子生によって代を継ぎ、進化によって複雑化し動物では偶成変・交接変・彦生変・枝生変によるとする一種の進化論を説いた。日本にダーウィンの進化論が紹介される以前のことである。
1878明治11年、松嶺開進中学校長。翌年辞職、鶴岡に帰る。「弄石余談」の序を記す。
1879明治12年5月、
――― 横浜二遊ヒシ日、同行ノ五弟岡田匠作ハ之ヲ市店二販グ(販売)ヲ見ルト・・・・・・ 東京ニ及ビ弄蝶(蝶をめで愉しむ)ノコト往々盛ンニ此二行ハルヤ。
1882明治15年、ハ百羽ノ接タルモノハ直1ヒニ十円二至ルト聞ク.果シテ信ナルヤ否ヤヲ知ヲス.又博覧会ニハ天竺全国ノ蝶ト云フヲ繊スモノアリテ其中ノ大ナルモノハ嶋ノ如キモノアりト聞ク ・・・・・・
我カ山形に於テハ十三年五月十一日 我友・犬塚氏ヲ勧メテ此事に従ハシメ、明年我之二着手セシヨリ諸入往々之二化シ、 今二及デ指ヲ屈スルニ暇ナシ・・・・・・ 是蓋シ、 我郷土に於テ金ヲ以テ、蝶ヲ売買スルノ始ナり(「日本昆蟲学史話」江崎悌三1956東京昆蟲學會、松森胤保『両羽博物図譜』「 弄蝶近況 」中の興味深い記録記事より引用)。
1881明治14年、山形県会議員に当選。この時代から飛行機研究に熱が入り、68歳で死去するまでやまなかった。「胡蝶録」・「大泉珍禽聞見雑誌」の序を記す。
3月、今日のオートジャイロの原理<とんぼ廻り上騰法>を考案。
――― 軸芯を異にする転輪があり、把手をぐるぐる回すと、転輪が廻転、軸芯の上部に装置したプロペラが廻り、その力によって上騰する装置である。今日から見れば何でもないが、竹とんぼの飛揚からこれを思いついたところは先見であるといわねばならぬ(『航空五十年史』)。
1882明治15年~明治25年、『両羽博物図譜』59冊稿本執筆。
――― 庄内藩家老・松森胤保。傑出したナ チュ ラリ ストで大著『両羽博物図譜』を執筆したほか、『物理新論』(明治18年)のなかで憶測。独自の分類進化体系を打ち立てている・・・・・・ 彼が実物をスケッチした(安政3年)と称する人魚は、実はサルの頭胸部にスズキ型魚類の胴部を継いだものであり、同様の代物は江戸末期から明治初期にかけて、西欧人の土産物としてかなりの数がつくられたという。ライデン博物館にも所蔵されているが、越後柏崎の妙智寺にも1体あり、これはサケの胴部を継いだものである。
・・・・・・通説の根源は1875年(明治8 ) 刊行のT .Bromme 著田中芳男訳『動物学(哺乳類)上・下』であったのである(「日本古来の人魚、リュウグウノツカイの生物学」本間義治2005環日本海学会編集委員会)
後年、植物学の権威牧野富太郎理学博士も『両羽博物図譜』を見て感嘆している。
“世界的な植物分類学者、牧野富太郎(高知県・東京都)”
1883明治16年、「両羽禽獣図譜」の序を記す。
1884明治17年、山形県飽海郡酒田の計25町の*戸長となる。
戸長: 明治4年の戸籍法にもとづき設置。旧来の名主、庄屋層から選出され、政府行政官と町村代表の二面性をもつ。
1885明治18年7月、病のため公職を辞す。「物理新論」を起筆。
1886明治19年、鳥船(快走船)を考案。製作を始め、23年8月完成。
――― 鳥船は両翼の一つのもの即ち単葉と複葉と2種類あるが、船内には2個の座席があって中央機械部の歯輪の作用によって動かすようになっている。
1887明治20年10月、鳥形吊籠を考案。
――― 大きな羽翼と尾を広げた形の布製浮袋に吊籠を伏したものである。鳥形にしたのは空気抵抗を少なくするため・・・・・・ 彼の考案はその他、羽翼を交互に動かす装置 ・・・・・・ 急速捻回の方法など不撓不屈の努力に彩られている・・・・・・ 酬(むく)いらるるところは少なかったが、彼の偉業はわが国航空史の上に燦として残っている。
――― 鳥形吊籠は、飛行機というよりも軽気球に近い物だと思われる。思いきって大きな翼と、尾を広げた布製の鳥形で、吊籠が浮き袋としてついている物
――― なかなかの学者でいろいろな著述を集めると360冊もあると称されている。中でも、飛行機の研究、実験には一番力をそそいだようで、若いときに経験した戦争から、「空中飛翔」の必要を痛感・・・・・(『物語征空記)。
『南部開物経歴』は、洋式築城方式の設計、自転車理論、水陸両用車、飛行機、綿縫器(ミシン)等のアイデアを披瀝、発明家としても面目躍如ぶりをみせる。
さらに『三観紀行』では佐渡旅行の時の山を隠見した際の感動を「コロンブスが初めてコロンビヤを見る時の事を思ふ」と但し書きにある。当地では日本のレオナルド・ダ・ヴィンチといわれている
1888明治21年、「南郊意匠開物」の序を記す。翌22年、「培植追論」「庭園四時景物」
1890明治23年、奥羽人類学会会長。
1891明治24年1月、鶴岡で奥羽人類学会を開催、大森貝塚発掘の土器片と獣骨などを展示。
1892明治25年4月3日、鶴岡市宝町にて死去。墓は鶴岡市禅源。68歳。
――― 胤保は当時の窮理学・開物学・博物学に当たる多大な著作を遺し・・・・・・これらの著作は自筆稿本で、版行されたものではない。丹念な毛筆による叙述と、あざやかな色彩の挿図は見事である。中でも『両羽博物図譜』8帙59冊は圧巻である。
走獣・飛禽・爬虫・遊漁・貝螺・飛虫・雑虫・植物に区分され、色彩豊かな写生図から成り、図鑑のさきがけともいわれる。オオカミや人魚・シロフクロウなど、珍奇な生物もみられ、庄内の動植物の分布上で貴重な資料といわれている。すでに進化論を知っており、トムゼンやラボックの時代区分も理解していた。最古の魚拓採取者であり、飛具という飛行機を考案し、写真に興味を示し、驚くほどの広範囲に学術的な足跡を残している(酒田市立図書館 飽海学務委員)。
参考: 『航空五十年史』仁村俊1943鱒書房 / 『日本人名辞典』1993三省堂 / 『物語征空記』榊原良平1943東華書房 / (COMMENT日本古来の人魚、リュウグウウノツカイの生物学~第10回研究大会報告要旨)2005環日本海学会編集委員会 / 『日本史辞典』角川書店 / 『日本人名辞典』三省堂 / 『日本地名事典』三省堂 /庄内日報社 http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp64.html / 酒田市立図書館 http://library.city.sakata.lg.jp/matumori/syokai.html
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